津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■散歩雑俳

2022-07-25 10:41:05 | 先祖附

              アジタート 行けども木立は蝉しぐれ   津々

 一両日散歩をさぼってしまったので、今日は朝食を済ませてすぐに散歩に出る。
曇りがちだが歩き出すとすぐに汗が噴き出す。いつもの道を歩いていると蝉時雨がものすごい。数百メートルの木立に途切れることがない。
途中で一葉二色の名も知らぬ花を見付てしばし観察、「名も知らぬ花は二卵性双生児」と口に着いた。
携帯で撮影したが、二色の見分けがつかない大失敗。

                    
明日は植物採取してみようかとも思うが、「やはり野に置け蓮華草」と良く言うからそっとして置いたが良いのだろう。

4㌔程を歩くが今日は右の股関節が痛くて、少々時間が過ぎてしまった。その分を加えて汗びっしょり、シャワーをして一段落である。

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■加藤清正宇土城攻めの各将「佐久間角介」

2022-07-25 06:39:55 | 人物

 1、加藤家侍帳に 並川志摩守与力・佐久間角介(五百石)と記載あり
    「熊本県史」に、佐久間角助(正頼)宛 清正判物二点が紹介されている
 1、熊本県史料・解題
    「佐久間氏は平姓、太々良四郎義晴の嫡子家村のとき、安房国朝比奈郡佐久間村に住し、佐久間太郎と称した。
     その子孫勝之は、佐々成政の壻養子となり、関ヶ原役後信江常三箇国のうち一万八千石を賜り旗本列に列した。
     所傳の二・三号文書は、勝之の弟正頼(角助・管理人書き込み)に與えられたもので、正頼は慶長五年清正が
     大友追討の軍を起こしたとき、その先鋒に加わり、宇土城攻めの功によつて五百石を與えられた。
     子孫は細川家に仕えた。細川氏肥後入国後百二十人扶持で召し出され、のち三千石を領した佐久間半之丞は正
     頼の子であろうか(以下略)」
 

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