津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ご恵贈御礼・富田紘一著 古写真に甦る熊本城と城下町ー『熊府諸景色』の物語

2022-02-01 15:43:05 | 書籍・読書

               

 1月30日お昼過ぎに突然富田紘一先生からお電話を頂戴した。本を出版したから贈呈するという内容で住所を知りたいとの事であった。
今日、早速御著「古写真に甦る熊本城と城下町ー『熊府諸景色』の物語」をお送りいただいた。臥して御礼を申し上げる。
かって富田先生は「古写真に探る‐熊本城と城下町」を発刊しておられる。
今回の御著は九州記念病院の岡山洋二理事長の熊本城関係の古写真のコレクションから、「熊府諸景色」その他の貴重な写真と共に、これらを前著の内容に加えて同様の鋭い考察を加えながら220余頁の見事なものとなっている。
熊本城研究の第一人者であられる先生の集大成ともいわれるべきものであろう。
熊本城顕彰会の会誌には、御病気の身を押していまだに連載をつづけておられ、お身を案じていたところであるが、更にそのうえでの今般のこのご出版に対して御慶びを申し上げたい。
また、九州記念病院の岡山理事長にも併せて感謝申し上げたい。
熊本城を愛される諸兄には是非ともご覧いただきたいと、ご推挙申し上げる。

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■終活・・調査打ち止め

2022-02-01 07:25:02 | 先祖附

 我が家の遠祖は磯部氏である。(礒部かもしれない)
二代目が母方の姓を名乗ったため今の姓に替った。これは筑前あたりに割と存在している名字である。

ところが磯部についてはとんとわからず、お手上げ状態で、最近はすっかりあきらめて調査打ち止めにしようと考えている。
初代は庄右衛門、兄長五郎と共に召し出された。そのきっかけは、「三斎公江戸御上下被遊候時分」居住していた周防国下松に三斎公一行が御寄りになり、たびたび宿舎や食事のおもてなしをしていたと先祖附は記している。
その故を以て、兄弟そろって豊前に召し出された。

宇田源氏・礒部氏の中に、「安芸礒部氏」がある。この辺りがご先祖様だろうと思っているが、死んだ姉は、「伊勢神宮に関係していた一族だ」とか聞いたという。母は嫁に来た人だから、我が家の出自などとんと興味がなかった。
一方父方の親族はすべて女性であり、すべて故人であるため、姉の話も有名無実のこととなった。

 そこで、すっきりとあきらめ、今後は「磯部氏」をしらべる労力を他に回すことにした。
初代から二代遡っていることでこれをもって善しとしようと思う。
「磯部越前守浄雲 毛利氏に仕え1,500石」こんな大仰な名前の人が、わが遠祖である。
下松には磯部氏をなのる塩づくりで財を成した人物がある。縁ある人だとは思えるが何ともつながらない。

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