仁田氏・熊 鳥居氏・喜和
4代・光尚 ‖-----吉利 ‖---------7代・宗孝 比企氏・美衛
‖----------+---5代・ 綱利=====6代・宣紀6代 吉澤氏・織衛 ‖---------13代・韶邦
清高院 | ‖----------8代・重賢 ‖------11代・齊樹==12代・齊護
| 岩瀬氏・里加 ‖---------9代・治年==10代・齊茲 ‖---------14代・護久
| 金澤氏・此井 加藤氏・田鶴 ‖---------15代・護全
+ーーー利重 深水氏・縫
‖ ーーーーーーーーーーーーーーーーーー宜紀
築山氏・辨
熊本における細川家の菩提寺・妙解寺の近辺の幾つかのお寺に、藩主の生母のお墓が存在する。
正室は妙解寺もしくは泰勝寺に葬られるが、側室は菩提寺に葬られることはない。
安国寺に韶邦の生母・比企氏、西福寺に宗孝の生母・鳥居氏と護久の生母・加藤氏(実・深水氏、養女)のお墓がある。
また綱利の二男で跡を継ぐと思われた吉利は惜しくも18歳の若さで亡くなっているが、妙永寺にお位牌があり、生母である仁田氏の一族のお墓があった。
又、同寺には護久の弟・護美の生母・飯銅氏(長)のお墓もある。
一夫一婦制になるまでの間、細川家で正室から生まれたのは忠興・忠利・光尚・齊護・護立の5人しかおらず、其の他は側室のなした子である。
細川氏の偉いところは、綱利・利重兄弟の生母・清高院をべつにして、これら側室の一族を際立って厚遇することがなかったことである。