津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

我が家検索リスト・1 (68-1 熊本所分絵図 二ノ丸之絵図)

2012-10-09 14:30:39 | 地図散歩

 西(段山)
    谷九左衛門
    原田弥右衛門(借置)
    沢村数衛(下屋敷借置)
    平野九郎右衛門( 同上)
    郡夷則(下屋敷)
    有吉清助(下屋敷)
    中川吟之助(借置)
    三渕大膳(下屋敷)
    片山多膳(下屋敷) 
    木下嘉納
      同   (下屋敷)
    柏原蔵人
    長岡中務(下屋敷)
    氏家甚左衛門(下屋敷) 二ヶ所
    片山多門
      同  (下屋敷)
    島又左衛門

 北
    下津縫殿
    郡夷則
    平野九郎左衛門
  二ノ丸御屋形西(現・刑部邸)

    柳瀬茂左衛門(借置)
    岩間小十郎(下屋敷)
    沼田勘解由(下屋敷借置)
    平野九郎右衛門( 同上 )
  二ノ丸駐車場周辺
    住江甚兵衛(借置)
    林新九郎(借置)
    金森七之丞
    鈴木甚五左衛門
    梅田大八(借置)
    
    岩間小十郎
    財津新八
    岩男助之丞(借置)
    長岡中務(下屋敷)
    蓑田惣左衛門
    庄村一郎助(借置)
    古庄一之允(借置)
    沢村甚之助(借置)
    仁保達太郎(借置)
    村山伝左衛門(借置)
    島村甚之助(借置)
         
 東
    大木織部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現・裁判所

    長岡内膳(下屋敷割残)・・・・・・・・・・KKRホテル裏手

    寺尾九郎左衛門(下屋敷)・・・・・・・・・以下・千葉城(NHK周辺)
    朽木内匠(下屋敷)
    栖本助七
    永島彦助(借置・添借置)
    松野又右衛門
    林九兵衛(借置)
    平野太郎右衛門
    有吉七兵衛(借置)
    梶田牛平
    辻橋尉太

 南
  中央郵便局・第一高校周辺
    松井直記
    藪図書   (添借置共)
    中根丈右衛門
    三渕大膳
    福田源兵衛(借置)
    續少助  二
    津川平左衛門(借置)
    岩越半兵衛(借置)
    堀丹右衛門
    坂崎兵庫
  桜馬場周辺
    上田五郎左衛門(借置)
    沢村八之丞
    長岡治部丞
    三渕右馬亀(ママ) (添借置)
    本間治兵衛(借置)
    三渕大膳(下屋敷)
    長沼喜左衛門(借置)
  国立病院周辺
    有吉将監 (添屋敷二共)
    長岡帯刀(下屋敷六)

中央(二ノ丸とその西部)
    沼田勘解由
    有吉清助
    長岡帯刀
    溝口直人
    長岡監物
    長岡長門・・・・・・・・・・・・・・・・・・北御門脇
    長岡和泉・・・・・・・・・・・・・・・・・・現・監物台植物園
    田中兵庫
    住江甚兵衛
    小笠原美濃 (その他下屋敷・同借置など三)
    茂見亀之助(借置)
    沼田半蔵
    坂崎兵庫(下屋敷借置)
    財津善之丞
    
    
    
     

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三つの家紋

2012-10-09 10:20:23 | 家紋

 高見武之の先祖附に度々「葉櫻紋付」羽織を拝領した旨の記述が登場する。また「表櫻紋」ともある。
「表櫻紋」とはいわゆる「細川櫻紋」だと思われるが、「葉櫻紋」というのは初めて知った。紋帳にもこの名前では見当たらない。
どうもこれではないかと思われる紋がこれであるが、真実のほどは判らない。ご存知の方が居られたら、ご教示いただきたい。 

                葉敷桜               抱き桜

                   葉敷き桜                    葉抱き桜

いまひとつ、「浮泉梅」紋御羽織を頂戴したとある。これは正式には「浮線梅」が本当らしい。志津子姫の婚礼に関して尽力し、奥方様から頂戴とあるから当然護久公夫人のことであろう。だとすると鍋島齊正(直正・閑叟)公女宏子様のことであろうか。鍋島家の家紋は「鍋島杏葉」なのだが、女紋なのだろうか?


                 中陰浮線梅

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 そしてもうひとつは坂崎家の「碁盤紋」である。
元々は「二蓋(階)笠」であったとされるが、細川家に於ける史料では「碁盤紋」が記されている。
この家紋の由来を知りたいと思っているが、私が持っている「家紋の辞典」には掲載されていない。これもどなたかご存知であればご教示いただきたい。 

                 mon.jpg    

付け足し
柳生笠(やぎゅうがさ)は、日本の家紋「笠紋」の一種である。「二階笠(にかいがさ)」、「二蓋笠(にがいがさ)」ともいう。柳生氏の替紋である。
もとは、坂崎氏の家紋であったが、坂崎成正(坂崎直盛)が、千姫事件の際、責を負って自害するときに、友人であった宗矩の説得に感謝して坂崎家の家紋を譲渡したとされる。「二階笠」ともいうように、もとは市女笠を上下に2つ重ねた図案であった。縦置きと横置きがあるがどちらも柳生笠という。
                                                         ファイル:Japanese Crest Yagyuu Kasa.svg から引用

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書状を読む(十三) 籠城之衆中

2012-10-09 07:29:58 | 史料

幽齋公の田邊城開城は、412年前のちょうど今の時期のことなのでご紹介しようと思う。 

細川幽齋がわずかの手勢で守る田邊城を、石田三成の命を受けた小野木重次(丹波福知山城主)、前田茂勝(亀山城主)ら諸将に率いられた15,000とも云われる西軍が取り囲んだ。支城にあった人たちも三々五々この城に逃げ込み、わずか500人ほどの人数で、 慶長5年7月19日(1600年8月27日)~9月6日(10月12日)に至る籠城が行われた。

禁裏からの勅使をうけ幽齋は城を明け渡すが、忠興にはいささか合点がいかぬ事であったらしい。
9月21日付け宮津から籠城衆にあてた書状である。               

                                 已上
                                 昨日廿日かめ山迄令
                                 着候處ニ城可相渡
                                 由申候へとも徳善院ノ
                                 事候間可成程馳走
                                 可申と存様子内府へ
                                 申入候其御返事次第可
                                 下國候扨々二度相
                                 候ハん事夢とのみ
                                 思ふ事候面々籠城
                                 さへ奇特と存候ニかせき
                                 とものよし無比類儀
                                 にけおち候やつ
                                 はらあまりの事ニ
                                 にくげなくおかしく候
                                 恐々謹言

                                    九月廿一日 越(花押)

                                 宮津より
                                   籠城之衆中 

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