幽齋公三百年祭が執り行われたのは、明治43年4月のことである。
細川侯爵邸内の心種会が編纂発行した「幽齋公三百年祭献詠集」を昨日図書館で見つけた。数百首の歌が掲載されているが、ここでは細川家御一族の歌をご紹介する。
寄道祝
侯爵御母堂 細川宏子
深山へも道のひらけて言の葉のはな咲く御代の春やいはゝむ
伯爵 津軽承昭
みたれ世の絶えなんとせし志きしまの道のひめこと君そ傳へし
侯爵 細川護成
大御代のひかりとなるもかしこみやきみかのこしゝ弓筆のみち
侯爵夫人 細川孝子
言の葉のはなもにほひて敷島のみちのひかりのあけらけき世や
子爵母堂 長岡知久子
雲井なるふしかねまてものほるへき道ある御代そ楽しかりける
男爵 細川護立
敷島の道ある世とてむらきものこゝろをたねのはなそにきはふ
男爵夫人 細川博子
志き島の道いやひろにひらけつゝきみかいさをも志るき御代かな
子爵 細川利文
君か代のひかりをうけて年々にひらけてまさる志きしまの道
明治43年の細川家の人間模様がよく理解できる。
護立公は27歳、結婚四年目である。四年後には兄護成公が亡くなられて侯爵家を継がれることになる。護貞さまはまだお生まれではない(明治45年生まれ)
(コピーが出来なかったので、急ぎ書き写したが何とかうまく書き写せたようだ)
細川侯爵邸内の心種会が編纂発行した「幽齋公三百年祭献詠集」を昨日図書館で見つけた。数百首の歌が掲載されているが、ここでは細川家御一族の歌をご紹介する。
寄道祝
侯爵御母堂 細川宏子
深山へも道のひらけて言の葉のはな咲く御代の春やいはゝむ
伯爵 津軽承昭
みたれ世の絶えなんとせし志きしまの道のひめこと君そ傳へし
侯爵 細川護成
大御代のひかりとなるもかしこみやきみかのこしゝ弓筆のみち
侯爵夫人 細川孝子
言の葉のはなもにほひて敷島のみちのひかりのあけらけき世や
子爵母堂 長岡知久子
雲井なるふしかねまてものほるへき道ある御代そ楽しかりける
男爵 細川護立
敷島の道ある世とてむらきものこゝろをたねのはなそにきはふ
男爵夫人 細川博子
志き島の道いやひろにひらけつゝきみかいさをも志るき御代かな
子爵 細川利文
君か代のひかりをうけて年々にひらけてまさる志きしまの道
明治43年の細川家の人間模様がよく理解できる。
護立公は27歳、結婚四年目である。四年後には兄護成公が亡くなられて侯爵家を継がれることになる。護貞さまはまだお生まれではない(明治45年生まれ)
(コピーが出来なかったので、急ぎ書き写したが何とかうまく書き写せたようだ)