津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

「幽齋公三百年祭献詠集」から

2010-10-12 08:24:14 | 歴史
 幽齋公三百年祭が執り行われたのは、明治43年4月のことである。
細川侯爵邸内の心種会が編纂発行した「幽齋公三百年祭献詠集」を昨日図書館で見つけた。数百首の歌が掲載されているが、ここでは細川家御一族の歌をご紹介する。

                    寄道祝
                               侯爵御母堂 細川宏子
       深山へも道のひらけて言の葉のはな咲く御代の春やいはゝむ

                               伯爵 津軽承昭
       みたれ世の絶えなんとせし志きしまの道のひめこと君そ傳へし

                               侯爵 細川護成
       大御代のひかりとなるもかしこみやきみかのこしゝ弓筆のみち

                               侯爵夫人 細川孝子
       言の葉のはなもにほひて敷島のみちのひかりのあけらけき世や

                               子爵母堂 長岡知久子
       雲井なるふしかねまてものほるへき道ある御代そ楽しかりける

                               男爵 細川護立
       敷島の道ある世とてむらきものこゝろをたねのはなそにきはふ

                               男爵夫人 細川博子
       志き島の道いやひろにひらけつゝきみかいさをも志るき御代かな

                               子爵 細川利文
       君か代のひかりをうけて年々にひらけてまさる志きしまの道


 明治43年の細川家の人間模様がよく理解できる。
護立公は27歳、結婚四年目である。四年後には兄護成公が亡くなられて侯爵家を継がれることになる。護貞さまはまだお生まれではない(明治45年生まれ)

 (コピーが出来なかったので、急ぎ書き写したが何とかうまく書き写せたようだ)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする