津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

ご教示下さい

2008-08-14 13:51:51 | 歴史
 細川家家臣に佐々を名乗る家が二家ある。一は佐々長政を祖とする。いま一つ佐々庄左衛門という人を祖とする家がある。ここで取り上げるのは、後者の話である。

 活字化された史料を読んでも、その文章の真意や行間を窺がう事が出来ず、勉強の足りなさを痛感する。ここに登場する主人公は、名前がないので判然としないが、どうやら今に残る佐々家の歴代の人ではないと思われる。

      佐々少(庄)左衛門尉子いとまえ事、則いとま出候つる、
      其身之申分一段わけきこへ不便(憫)ニ候、親も可仕様
      無之候てめいわく可仕候、此中迄かヽへ置候段しんろう
      ニ候由、能々可申候いつかたへも参候内弐拾人扶持相
      渡し可申候、猶口上ニ申候、以上
         寛永拾六年二月廿日  (御印)
                              奉行中

 はたしてこの主人公に何があったのか、不憫としながら弐拾人扶持を与え暇を与えた、真の理由とは何か?「親も可仕様無之候てめいわく可仕候、此中迄かヽへ置候段しんろうニ候由・・」とはどう読むのか。どなたかご教示いただければ幸いである。
コメント
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