津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

久しぶりの図書館浴

2008-08-07 18:23:05 | 徒然
 今日は少し風があって陽もそう強くない。とっくに返却日を過ぎている本を、催促を受けない内に返さねばと、チャリンコを駆って図書館に出かける。汗をかかないようにゆっくりゆっくりペダルをこぐ。木々が風を受けて、木漏れ日が揺れている。百日紅や夾竹桃、ノウゼンカズラなど、人様のお庭の花々を観賞しながら走る。プランターに見事にしたてられたパンジーが洋装店の店先を飾って美しい。水無川のわずかな水面にトンボが高く低く飛び交っている。久しぶりにゆったりとした気分になる。

  ・・涼風に揺らぐ木漏れ日 秋立つ日・・ など、ひねってみる。(汗)

 今日の図書館は返却が目的で、コピーもなし、調べ物もせずのんびり図書館浴、三冊ほどの本を借りる。外に出ると風が強い。おまけに向かい風になって、ペダルを懸命に踏まないと前に進まない。加えて上り勾配が多く、すっかり汗まみれになってしまった。シャワーを浴びてすっきりすると、肩や腕がこわっている。風がこたえた。

     ■日本人養成講座 三島由紀夫
     ■日本の名随筆・19 秋・歳時記 山本健吉
     ■21世紀の日本人へ 長井荷風

  「日本人」を意識したわけではない。偶然の所産である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「宝暦の改革の功罪」

2008-08-07 10:59:32 | 徒然
 「トピックスで読む熊本の歴史」という本がある。その中に「宝暦の改革の功罪」という項があって、「この宝暦の改革は、倹約と増税に苦しむ庶民には不評であり、家臣団の批判もきびしかった」として、次の四点を挙げている。
 1、宝暦二年、目付松野七蔵の上書
 2、安永三年、益田弥一右衛門の上書
 3、家老長岡主水との論争による、奉行井口庄左衛門の切腹
 4、家老有吉大膳家臣の藩主及び堀平太左衛門の呪詛

(1)は藩主・重賢の堀平太左衛門を大奉行に任用する人事に関する一件である。
その諫言は三度に及んだというが、重賢は七蔵が指摘する「平太左衛門の悪行(欠点)三ヶ条」を「承知の上での任用である。自分は平太左衛門の欠点をそれ以上承知している」と答えている。
(2)は安永三年の事であり、「宝暦の改革」に対する批判もある。
弥一右衛門は、「洩候而ハ御為相成不申儀と奉存候」といささか不穏当な言いようでこの上書を書き始めている。その指摘は18条に及んでいる。例えば画期的な刑法の改めなどについて異を唱えたりしている。政策論を異にするものであり、重賢はこれを握りつぶすことなく、堀平太左衛門に手渡している。平太左衛門はこれに答え、弥一右衛門に届けられた。
(3)かなり過激な論争が行われたのであろう。長岡主水は大いに機嫌を損ねたらしく、重賢に庄左衛門の下げ渡しを請うている。庄左衛門の切腹は、重賢の気持ちを慮っての事である。有能な士が失われた。
(4)これを「家臣団の批判」とするのは如何なものであろうか。論外な話ではある。
武士にもあるまじき、「呪詛」という卑怯な手段である。私は有吉大膳に関しての処分に付いては、大変甘いものであったと観ずる。

 最近「宝暦の改革」に関して、批判めいた論調が多く見える。
例えば田添源次郎の「地引合」等についても、「僅かの隠田は民間の余沢だ」とする識者がある。一つのルールによって藩政が動かされている以上、それはおかしい話だろう。

 総じて上記四点の指摘は、ご尤もとうならせるものではない。
 山本博文氏の「男の嫉妬」ではないが、政権外にある人の嫉妬心も窺がえて、正当な「批判」とも思えない。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする