津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

二百十日

2008-08-30 14:35:40 | 歴史
 台風という言葉が生まれたのは明治の後期だという。私は台風という言葉があって、タイフーンという英語が出来たと理解していたが、どうやらそうではないらしい。中国語の「大風」がタイフーンになり、「台風」という言葉が生まれたらしい。

 与謝野晶子は、エッセイ「台風」の中で、「台風という新語が面白い」と語っている。
かっては「野分」と云った。「のわき」と読まなければ成らない。
晶子は「野分には俳諧や歌の味はあるが、科学の味はない」という。
現代にいたっては死語に成りかかっている。きざに「昨日の野分は・・」なんぞと言っても、理解をしてもらえないだろう。「季語」として命を残した。

 江戸期の俳人佐久間柳居の
     我庵は下手の建てたる野分かな  など、うまいなーと感心する。

 明日は二百十日、これとて死語に成りかかっているのではないか。猛暑が続き、ゲリラ豪雨の被害が著しい昨今、台風は何故か顔をお出しにならぬが、どうぞお静かにと願いたい。



 
コメント
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