津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

紫という色

2008-01-05 14:03:09 | 徒然
 手元に大徳寺高桐院の写真集がある。細川家の菩提寺である事で有名だが、芦屋にお住まいのT氏のお寺でもある。まだ、歴史狂いする前に私は大徳寺を訪れたが、高桐院には行っていないと言う大虚けである。T氏にお墓参りをされた折にでも、パンフを送っていただきたい旨お伝えすると、立派な写真集をお送りいただいた。只々感謝である。静かに頁を追っていくと、心が洗われる思いがする。
 大徳寺は「紫野」という言葉を冠する。京都七野といわれる紫野は、その名の通り紫草が生い立った処であったらしい。高貴な色とされる「紫」だが、それは「紫草」という可憐な花をつける植物の根からもたらされるのだそうだ。
 昼飯を取ろうとTVをつけると、「ムラサキ・天平の色古代紫の復活」という番組が始まった。「紫草」は絶滅危惧種に入れられた植物だそうだが、大分県竹田市の志土知地区の有志の皆さんが、その復活にかけて取り組んで居られるドキュメントである。京都の染色家吉岡幸雄氏の応援を得て、その復活の過程は地元発展の起爆剤になっている。素晴らしい話しに感動してしまった。

 かっては紫草が咲き広がった野を、貴族達が心豊かに遊びまわっている。
  「あかねさす紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る」
 額田王の有名な歌だが、景色が眼前に彷彿としてくる。

志土知(昔は紫土知といったらしい)の人々もまた、心豊かな雅の気持ちをお持ちらしい。こんな話しを聞くと此方まで心豊かになる。
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先祖附

2008-01-05 10:07:48 | 徒然
 あちこちからお問い合わせをいただいて、その度に図書館に走り先祖附をコピーしている。その数が結構なものになり、これも収納に頭を痛めている。そしてその内容についてとなると、それぞれ一度は目を通したつもりだが、右から左にすっかり忘れている。M家のお家筋のD家の某氏が、A家の養い弟某に殺害されていたことが「熊本藩年表稿」で判明したとご連絡を受けた。そんな大事であれば忘れているはずはないと思って、D家の先祖附を引っ張り出して確認すると確かにその事実がある。読み飛ばしていたのか、老いの悲しさで忘れてしまったのか・・・僅か十数文字でその事実だけが記されてあった。ならば相手方A家の先祖附を見なければと思ったが、これがなかなか出てこない。さて何処に押し込んでしまったのか。大晦日・元旦と二日掛りでようやくかたずけたデスク周りが、無残にも元の木阿弥に成ってしまった。D家・A家の「侍帳」に追記をして一応の形をつける。改めてD家の先祖附を熟読している。
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