津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

金気とり

2007-12-27 20:08:23 | 歴史
 鍋釜を買ったら「細川」とかいた紙を貼り付けると良い・・「金気がとれる(金気がない)」というのが落ちだが、なんとも寂しい話しではないか。何時頃からそのようになったのだろうかと考えると、光尚の妾・清高院や、その子綱利などが原因ではないのか。綱利は自分の子を跡継ぎにする事は出来なかったが、女子は沢山あって嫁に出した。松平豊後守頼路室・菊、酒井左衛門尉忠眞室・光、松平志摩守直近室・楊、久我右大臣惟通簾中・具のほか、熊本において細川采女正利昌に吉姫、清水靭負勝貞に伊津、有吉大膳立貞に國姫などである。熊本以外の4人はお大名とお公家さん、これは物入りだ。松井興長の諫言13ヶ条の内に「昼夜之御酒宴・・」「不相応之金銀を以、踊子被召抱・・」「御奥之女中、御寵愛に任せ、我儘・・・」とあり、「近年之御物入、御代々無御座候故、御勝手向及困窮候事」と手厳しいのだが、興長が亡くなると歯止めが外れた感じがする。これじゃ借金の山も簡単にその高さを増していく。金気とりの張り紙もこの頃からの話しだろう。
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