慶長十二年(1607)監物は22歳、義兄長岡(飯河)肥後の誅伐事件後、豊前を立ち退いている。「忠興君御意ニ不叶儀有之」と綿孝輯録は記しているが、同事件に関しての抗議行動と思われる。ながきに渡り京都において牢人生活を送るが、慶長十九年(1614)秀頼方からの再三の召寄せに抗じきれず、秀頼臣大野主馬の下で騎馬五十騎を預かる侍大将となった。大坂陣において活躍するも西軍敗北の後、毛利を頼ったとされる。元和八年(1622)に至り「大坂籠城の浪人抱候儀不苦」ことにより、志水伯耆をもって忠利の意を伝え、十月十五年ぶりに帰参する事になる。
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