一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

永井荷風 その3

2020-11-22 10:07:07 | 読書

       戦中、戦後をへて より偏屈になったが、
       73歳で 文化勲章受章。
       「外国文学を紹介し 日本文学界に独自の
        巨歩を 印した」との評価で。

       また 日本藝術会員などの名誉につつまれるも、
       本人は相変わらずの 浅草通い。
       ストリップ劇場の踊り子と 親しむ。

       79歳 さいごの荷風はどうだったのか。
 
       自宅で倒れ 通いのお手伝いさんに発見される。
       常に持っていたボストンバックには、
       土地の権利書 預金通帳 文化勲章など
       全財産が入っていた。

       通帳の預金高は 2334万円 現金 31万円
       生前、吉原遊女の投げ込み寺「浄閑寺」を
       好んで訪れ、
       そこに葬られたいと 記していた。

       ※ 「墨東奇譚」
        いわるゆる 隅田川東岸の物語ではなく、
        東京の向島(現・墨田区)に存在した
        私娼窟・玉ノ井が舞台。
        一人の小説家(モデルは荷風)と娼婦・お雪
        その出会いと別れを季節の移り変わりと共に 
        美しくも 哀れふかく描いている。
        中村光夫はこう評価している。
        「荷風の白鳥の歌といってよい昨品。
         彼の資質、教養、趣味など 渾然たる表現に
         達している」
        映画化され 主人公・芥川比呂志 お雪・山本富士子
        
       

永井荷風 その2

2020-11-22 09:41:00 | 読書

        29歳 フランスから帰国。
        「あめりか物語」「ふらんす物語」で
        風俗壊乱として 発禁処分にあうも、  
        漱石の紹介で 朝日新聞に「深川の唄」連載。

        31歳 森鴎外の推薦で 慶大教授にもなった。
        当時 学生だった佐藤春夫は こう語っている。
        「講義は面白かった。それ以上に雑談は面白かった」

        この頃、両親のすすめで結婚するが、翌年 離縁。
        その後、芸妓を入籍するも、身内との折り合いが
        わるく 破綻。
        以降、女給や娼婦と付きあうも 妻帯はしていない。

        37歳で慶大を辞して、独り暮らし。
        江戸の文学を こよなく愛し、
        一方でフランス文学への造詣もふかめる。
        関係した女性を 「断腸亭日乗」に列記するなど
        独自の境地へ。

        40代後半から 創作の興味は芸者から女給や私娼へ。
        浅草の歓楽街や 玉ノ井の私娼街に 入りびたるなど
        新境地開拓というべきか。

        一方で 朝日新聞に「墨東奇譚」を連載。
        全集による印税もあり、 豪放磊落な生活。

        ※ 「断腸亭日乗」
          38~79歳の死の前日まで 42年間綴った日記。
          自らの住まいを「断腸亭」と名付けたのは、
          腸を病んでいたことと、花の秋海棠(別名・断腸花)
          が好きだったことに由来。
       
          
          
        
        
        

永井荷風

2020-11-22 09:23:34 | 読書


        永井荷風が逝って 今年で60年。
        もう? というべきか、
        まだ60年しか経っていないと思うか、
        人それぞれ。

        今日は この風変りで しかも下町を愛し、
        江戸文化やフランス文学に造詣のふかい
        人となりに迫ってみたい。

        永井荷風(明12~昭34) 79歳没
        高級官吏の父と 良家の母の下に誕生。
        自らも小・中学とエリートコースまっしぐら。
        幼少から 母に連れられ芝居に親しむ。

        15歳くらいから文学にめざめ 
        高校受験に失敗して 軟派の生活に。
        東京外語大中退。

        本人はこう 回顧している。
        「もし この事がなかったら 私は老人に
         なるまで 遊惰の身にはならず 一家の
         主人として ひと並みの生涯を送ったであろう」

        やがてフランス語を習いはじめ
        歌舞伎の座付き作者になったり、
        落語家に弟子入りしたり、
        反骨精神がめばえる。

        24歳、父の意向で 実業家になるべく 渡米。
        その後、やはり父のコネで フランスへ。
        しかし 父の希望する実業家(大使館や 銀行勤め)
        には なじめず、
        西洋文学 オペラ クラシック ざんまい。

        ※ おなじみの 飄々とした 風貌の荷風