一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

終戦記念日 その2

2020-08-14 13:32:01 | 雑記
        ある日、島尾は部下に読ませる本を借りに、
        島でたった一つの小学校を訪問。

        そこにいたのがミホで、
        ミホは小学校の先生だった。

        なるべくして二人は恋仲に。

        しかし、
        1945年8月13日、
        島尾にとうとう 出撃命令がくだった。

        ミホは彼が出撃したら自決するつもりで、
        剣をもち、身をきみよめて浜辺で待機。

        しかし、14日の夜の出撃はなく、
        翌15日に持ち越された。
        (特攻戦は夜襲が原則)

        もう、みなさん、お気づきでしょう。

        8月15日は「玉音放送」が流され、
        天皇による詔勅があって、
        敗戦が知らされた日である。

        帝国軍部が いかに混乱していたか、
        想像できるでしょう。

        かくして 島尾は「遂に出発は訪れず」に
        なってしまったのです。

        戦後、島尾とミホは結婚。
        一男一女をもうけますが、
        ちょっとした出来事で、ミホは精神に異常を
        きたす。

        数奇な運命で結ばれた二人ですが、
        その行く末は『死の棘(とげ)』状態になります。

        ここでは、ちょっとした出来事には触れませんが、
        梯(かけはし)久美子著『狂うひと』には
        詳しく記されています。
        これも名著です。
        

終戦記念日

2020-08-14 13:07:55 | 雑記

       8月15日は75回目の終戦記念日。
       今回は
       特攻隊長(海軍)として特異な経験をした、
       島尾敏雄の『出発は遂に出発は訪れず』 
       を紹介いたしましょう。

       1943年、九大卒後、 島尾は海軍に入隊し、 
       当時、もっとも危険とされた魚雷艇を志願。

       赴任先は、なんと
       鹿児島県奄美群島・加計呂麻島(かけろまじま)
       の呑之浦(のみのうら)であった。 
       そこは 魚雷艇の特攻基地だったのだ。

       第18震洋特攻隊長として 180人の部隊を
       率いる島尾。
       きびしい訓練をかさね、出撃命令を待つ日々
       であった。

       島尾は その誠実な人柄ゆえに 島民から
       「隊長さま」と尊敬され、親しまれた。

       (長文になるため 次回にゆずります)