一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

ああ、勘違い

2016-01-09 13:31:29 | Weblog


      たまに行く整体院で週刊新潮を見るのが
      ちょっと楽しみになっている。
      五木寛之のエッセイ「生き抜くヒント」
      を読むのだ。

      先日のは「一日一驚のすすめ」という
      タイトルで、こんな風に書いてあった。

      60歳を超えてから人間、あまり驚かなく
      なった。物事すべて既視感(デジャヴュ)
      にとらわれて、喜びも悲しみもすでに
      想定内のことで新鮮味がない。

      その上、鬱状態になった。
      これではいけないと「よろこびノート」
      を作ったというのである。
    
      「電車のなかでスムーズに坐れた」
      「ネクタイが一度で気持ちよく結べた」
      「探していた本が見つかった」
       等々。
      
      探せば「一日一喜」だけでなく結構ある
      ものだそうだ。
      これですっきりして、鬱状態から抜け出
      すことができた。

      ところがしばらくしてまた鬱がぶり返した。
      今度は「悲しみノート」を作った。
      「大好きな大福を買いにいったら売りきれ
       ていた」
      「室内の観葉植物が枯れた」
      「ペットが老衰で元気がない」
       等々。
   
      これも結構あるそうで、気持ちに張りが
      出てきた。

      しかし、やっぱり鬱はやってきた。
      そこで今度は「びっくりノート」に切り
      替えた。
      「びっくりしたなあ、もう」ってやつだ。

      「長年、長男だと思っていたが戸籍を調べ
      たら次男だと分かった。長男は生まれて
      間もなく早世していたのだ。
      (両親と幼くした別れたので、そのことは
      聞いていなかった)」
      等々、これも結構探せばあるそうだ。

      
      私は筆者の気持ちがよく分かった。
      年齢を重ねると、おいしいものも美味に
      感じられない。
      かつては嬉しくてたまらなかったお祭り
      なんかも、ちっとも面白くない。
      たまに景気づけようと新しい調度品や
      新しい洋服などを買っても、華やぐのは
      ほんの一瞬だけ。
      
      これが齢をとることなのかなあ、と
      がっくりする。
      それを何とかしようと、「〇〇ノート」
      を作って、せめて気持ちだけでも、
      という筆者の心意気に共感し、大作家で
      もこうなのだから、と大いに慰めにも
      なった。


      ここで私は大いなる勘違いをしている
      ことに気づいた。
      
      なんと五木寛之を余りにも老成した思考
      から、
      阿川弘之氏(阿川佐和子さんのお父様)
      と思っていたのだ。

      眼では「五木寛之」と読んでいるのに、
      いつしか頭では「阿川弘之」と思い
      込んでいるこの錯覚!!
      
      恐ろしいというべきか、あきれたと
      いうべきか。

      (家に帰って五木氏の年齢を調べたら
      今年で御年84歳。
      『青春の門』や『大河の一滴』といった
      ベストセラーから、いつまでも若いと
      思っていたのだ)
      
      さしずめ私は「ああ、勘違いノート」
      でも作るべきだろう。


      ※ 本文とは関係ないが、
        若宮大路の入口にたっている大鳥居。
        日の暮れが早い。