とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

酒田の「笠福」

2024年03月09日 | 日記

 酒田は最上川の舟運で運ばれた莫大な米の集積地。ここから西回り航路の千石船で京都や江戸との交易を「西の堺、東の酒田」と呼ばれるほど賑わっていた。
 伊豆稲荷が始まりと言われる「雛のつるし飾り」は江戸後期から始まったと言われている。雛人形の伝統は古いが、一部の裕福な家庭しか飾れない高価なものだった。一般家庭のお母さんやおばあちゃんたちは、自分たちの古着の切れ端を持ち寄り、女の子の健康と幸せの願いをこめた小さな人形を作った。それを紐でつないで「雛のつるし飾り」がはじまり、伝統文化として今に受け継がれている。
 雛のさげ物の風習は全国にも珍しく、伊豆稲荷、九州稲荷、山形酒田は「日本三大つるし飾り」と称されている。私が子どもの頃、酒田のひな祭りはひと月おくれの4月3日だった。現代は3月3日から始まり一か月分余計に楽しめる事になった。
 酒田ではつるし飾りを「笠福」と呼んでいる。酒田商工会議所女性会が失われつつあった「笠福」をわがまちの活性化と商売繁盛を願って吉祥柄の細工をたくさん下げて見事復活させた。
 私たちの願いと文化の伝承は立派な街おこしとなった。

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