松島で開かれた、子どものころに戻った同期会から帰ってきました。
だいたいの人はわかったが、誰だかわからなくなった人もいた。 しかし、名前を聞くと「ああ、そうだ」と面影がよみがえる。
震災で家族を失った友が明るく元気にしている姿に、あの時のことは口にできなかった。
60年ぶりにわかった事実がある。
「早苗ちゃんには、ほんとに世話になった。ありがとう」と、H君。
「え? 60年も会っていないのに、なにを世話した?」
「おれ、早苗ちゃんのとなりの席だったんよ。 覚えているかい?
おれは宿題をよく忘れたし、しなかったし・・・。 いつも早苗ちゃんが助けてくれたんだ。 忘れられないよ」という事でした。
へえ、そんなことがあったっけ。
もう一つ。
Yちゃんが「早苗ちゃんの誕生会によばれた時に、ニラの卵とじのお汁が出て、忘れられない。 なんでって、初めてニラをたべたんだよ、ニラを知らなかったんだよ。
すごく楽しかったよね!」 というではありませんか。
えええ!
私が「さなえばぁばのスケッチ散歩」に、書いたたことと違う側面があったのだ。
一生懸命ねだって開いてもらった誕生会。
お友だちの家と違ってお金のない我が家は、お赤飯だけしかなかったことが惨めだった。
みじめな気持ちが先だってしまっていたが、「たのしかった」と言ってくれた友がいた!
何人もの友から、20年以上も前の長野県知事選の話しが出された。
「ああ、これ、早苗ちゃんじゃないか、びっくりしたよ」
「応援してたよ」などなど・・・。
「早苗ちゃんは共産党なんだね」と聞いてくる友も。
S君が記念集を作成してきてくれた。
中学生時代の友が、どんな人だったかも記載されていた。
中野早苗、旧姓村松早苗のことは、写真のように書かれてあった。 私はどんな存在だったのかなあ・・・と改めて振り返ったりした。
故郷が心のよりどころになっているのは、幼馴染の友と過ごした日々があるからなんだ、としみじみと感じ入った同期会でした。
次回は77才の時、開く予定だという。
「みんな、生きているんだぞ!」との別れの言葉、今回も、すでに他界された友が数人いました。
笹かまとシソまきをおみやげに買ってきました。
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