中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

同期会に行った

2023年10月11日 08時46分13秒 | 活動日誌
松島で開かれた、子どものころに戻った同期会から帰ってきました。
 
 
だいたいの人はわかったが、誰だかわからなくなった人もいた。 しかし、名前を聞くと「ああ、そうだ」と面影がよみがえる。
 
震災で家族を失った友が明るく元気にしている姿に、あの時のことは口にできなかった。
 
60年ぶりにわかった事実がある。
 
 
「早苗ちゃんには、ほんとに世話になった。ありがとう」と、H君。
 
 
「え? 60年も会っていないのに、なにを世話した?」
「おれ、早苗ちゃんのとなりの席だったんよ。 覚えているかい?
おれは宿題をよく忘れたし、しなかったし・・・。 いつも早苗ちゃんが助けてくれたんだ。 忘れられないよ」という事でした。
 
へえ、そんなことがあったっけ。
 
もう一つ。
 
 
Yちゃんが「早苗ちゃんの誕生会によばれた時に、ニラの卵とじのお汁が出て、忘れられない。 なんでって、初めてニラをたべたんだよ、ニラを知らなかったんだよ。
すごく楽しかったよね!」 というではありませんか。
 
 
えええ!
 
私が「さなえばぁばのスケッチ散歩」に、書いたたことと違う側面があったのだ。
一生懸命ねだって開いてもらった誕生会。
お友だちの家と違ってお金のない我が家は、お赤飯だけしかなかったことが惨めだった。
 
みじめな気持ちが先だってしまっていたが、「たのしかった」と言ってくれた友がいた!
 
 
何人もの友から、20年以上も前の長野県知事選の話しが出された。
 
「ああ、これ、早苗ちゃんじゃないか、びっくりしたよ」
「応援してたよ」などなど・・・。
「早苗ちゃんは共産党なんだね」と聞いてくる友も。
 
 
S君が記念集を作成してきてくれた。
 
中学生時代の友が、どんな人だったかも記載されていた。
 
 
中野早苗、旧姓村松早苗のことは、写真のように書かれてあった。 私はどんな存在だったのかなあ・・・と改めて振り返ったりした。
 
 
故郷が心のよりどころになっているのは、幼馴染の友と過ごした日々があるからなんだ、としみじみと感じ入った同期会でした。
 
次回は77才の時、開く予定だという。
 
「みんな、生きているんだぞ!」との別れの言葉、今回も、すでに他界された友が数人いました。
 
 
笹かまとシソまきをおみやげに買ってきました。
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