蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

三度目の殺人

2017年09月10日 | 映画の感想
三度目の殺人

弁護士の重盛(福山雅治)は、友人の弁護士・摂津(吉田鋼太郎)から殺人事件の弁護を引き継ぐことになる。容疑者の三隅(役所広司)は数十年前にも殺人を犯し収監されていた。強盗殺人が成立すれば死刑は間違いなく、重盛は怨恨による殺害を主張する方針として殺害された食品会社の社長の周囲をさぐる。社長には娘(咲江=広瀬すず)がおり、娘は三隅と交流があったことがわかる。そのうち三隅は(重盛らに知らせずに)週刊誌に対して殺害は社長夫人から(保険金のために)殺害を依頼されたといい始めるが・・・という話。

仕事の関係で民事裁判に関わったことがあるのだが、訴訟額が大きいこと、原告・被告とも大きな会社で金に糸目をつけずに弁護費用をかけたこともあって一審の判決が出るまで5年以上かかった。最初のうちはやたらと弁護士とミーティングをしていたのだが、2年もすると当事者はだんだん関わりが薄くなってきて、ひたすら双方弁護士と裁判所のトライアングルだけが延々と議論を繰り広げているように思えてきて、その間も費用はどんどんかさんでいるわけで「これって当事者のためというより司法業界の利益のために行われる感じだよな~」なんて不埒なことを考えてしまった。
そんなことを思い出したのは、三隅の刑事裁判が方向性を見失いそうになった時に、裁判官と検察官・弁護士たちが暗黙のうちに(本来はそうすべきでない)進め方を合意する場面が出てきたから。その場面のあとに摂津が「俺たち司法関係者は同じ船に乗っているんだよ」というようなセリフをはいたのが印象的だった。

重盛は、弁護士として(真実には興味がなく)依頼人に有利にはたらく事実・論点のみを主張すべきと考えている。検察官も裁判官も自らの利益に都合がよい方に裁判が進むなら真実なんてどうでもいいと思っている。そして本作の登場人物たちが公判の場で証言することは、ことごとく真実ではない(ように思われる)。
このように、真実や事実は人それぞれに違うものだし、それを裁判というプロセスで明らかにすることはできない、というのが本作のテーマで、本作自体もクリアカットな結末(だれがどのように殺したのか?)は展開されない。
もっとも、場面上は明確でないものの、「三度目の殺人」とは自分自身を殺すことだった、と解釈すると結論は明らかでもあるのだが。

本作は一貫して重盛の視点から描かれるので、重盛の日常生活の場面も多いのだが、離婚係争中でジャンクフードばかり食べるところ、元裁判官の父親が器用に料理をつくるところ、儲かってなさそうなみかけの事務所で(多分国選でおカネにならない)裁判のために夜を徹して仕事をする場面、どうしようもない娘をそれでも愛している場面などがよかった。
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