蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

2018年05月26日 | 本の感想
それでも、日本人は「戦争」を選んだ(加藤陽子 新潮文庫)

民主主義とまでいかなくとも、ある程度一般国民の政治参加が可能な国では、世論の支持なしに本格的な国対国の戦争を始めることは難しいという。
軍部が無理矢理国民を戦争に巻き込んだかのように言われる日本も同様で、日清、日露、日中、日米のいずれの戦争も大多数の国民=世論は(かなりの熱意をもって)開戦を支持していたとされる。

タイトルからして、そういった内容なのかと思っていたが、実際には、各戦争における戦争開始の力学みたいなものを政治・社会の二つの側面から解説したものであった。(もちろん、上記のような側面を紹介した部分もある)

東大の教授である著者が、進学校として有名な高校の歴史クラブ?の生徒に講義したもので、頻繁に高校生に質問するのだが、かなり高度な内容の、とても高校生とは思えない回答が返ってくるのに驚いた。

次の点が印象に残った。
・日清戦争後の三国干渉で遼東半島を失ったことで、「民意が反映されない政府の外交が原因だ」との機運が高まり、これが普通選挙運動の活発化につながった。

・日露戦争の戦費が嵩んで大幅な増税が行われた。この結果選挙権を持つ人数が劇的に増え(当時は一定額以上の納税をした人だけが選挙権を持てた)、それまで地主が中心だった選挙権者に実業家なども加わり、議会の構成が大きく変わった。

・イギリスは日本が第一次世界大戦に参戦することに反対であった。日本が中国情勢をかく乱することで、対中国貿易額が減少することを怖れたためである。実際、イギリスの対中貿易額(含む対香港)は第一次大戦前後から減少した。変わって貿易額を増やしたのは日本だが、その日本もやがてアメリカに追い越される。

・第一次世界大戦の講和会議で、英仏は比較的寛容な賠償額をドイツに課そうとしていた。一方、英仏に対して巨額な債権を持つアメリカは、早く取り立てようとして、厳しい(多額の)対英仏賠償をドイツに要求した。イギリス代表団の一人だったケインズは、かたくななアメリカの態度に憤慨し、会議の途中で帰国してしまった。

・満州事変勃発直後に東大生にアンケートしたところ、9割近くが、事変を起こした陸軍などの方針を支持していた。

・戦費調達のための「臨時軍事費」の特別会計の会計期間は開戦から終戦まで。1937年の日中戦争開始から開始された特別会計が議会で報告されたのは1945年11月だった。この特別会計においては、日中戦争に使われた戦費は(太平洋戦争開始前においても)3割程度で、大半は対米戦争の準備に費やされていた。その結果、開戦時において日米の戦力差はほとんどなかった。しかし、その後アメリカはもてる工業力を発揮して圧倒的な戦力差をつけることになる。

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