蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

秀吉神話をくつがえす

2008年10月12日 | 本の感想
秀吉神話をくつがえす(藤田達生 講談社新書)

本書でいう秀吉神話というのは、「徒手空拳の身からの献身的奉公による出世、偉大な改革者・平和主義者そして勤皇家としての成功」ということである。

前段は確かにそういうイメージが世間で固まっていると思うけど、後段については、(学者の世界ではそうなのかもしれないが、世間的には)そういう風に思っている人はあまりいないんじゃないかと思う。
晩年の秀吉には、秀次や朝鮮遠征にまつわる暗いエピソードがまとわりついていて、陰惨な印象しかない。
少なくとも「平和主義者」と思われていることはない。

家康の公家社会に対する態度と比較すれば、その権威を利用しようとしたのだろうけれど、「勤皇家」というイメージも全くない。

かと言って、前段部分について、それをくつがえすような論考はほとんどない。

本書の主要部分は、本能寺の変の原因の考察についやされており、秀吉がなぜ中国大返しに成功したのか、については、ただ驚異的な諜報能力があった(らしい)と、言うのみだった。
このようなことから本書の書名は「看板に偽りあり」だと、私は思った。

ところで、秀吉は、なぜ即座に中国大返しをすぐ決断できたのかは、確かに不思議だ。
万一誤報や謀略で信長が健在だったら、大軍を率いて都に戻った秀吉はただではすまなかっただろう。
確信を持って一目散に戻れたのは、事前に光秀と通じていたのか、あるいは、信長が生きていても戦力の空白地域である京洛でなら謀反に成功できると思っていたのか・・・。

なんて妄想から様々な謀略説が生まれるのだろうが、実際は、当時の人間の足による情報伝達の信頼性が、現代から考えるよりはるかに高かったのだろう。
コメント
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