エクアドルでインカの宝石を買った話です。
30年ほど前、、、毎度ふる~い時の話ですが、南米のコロンビアから陸路で国境を越えてエクアドルに入った。首都のキトに着いたのは数日後です。
その時にキトの宝石店で購入した黄金のブローチです。
エクアドルの首都キトは標高が2500m余りと高くて、高山の雲の中にいるような所に町があります。ホテルから街(インカの街そのものだった)見下ろすと、霧だか雲だかがモヤーと横切っていきます。
私が泊まったクラッシックなホテルは、キトでは最高級のところらしく、館内には高級そうなお店が開いていた。
仕事で南米に足を踏み入れたので、しかも南米のへき地回りから、とりあえずエクアドルといえ首都に着いたので、ほっとしたのと気が大きくなったので、名物の宝石店を冷かして回っていた。
エクアドルはエメラルドに限らず宝石の一大産地なのです。
その当時、エクアドルは世界では珍しく鎖国していました。
お隣のコロンビアは数日前までいたが、そこは麻薬の巣窟で社会が混乱していた。
コロンビア政府は国土の1/3を支配している赤色革命軍と対峙して、さらに麻薬カルテル(麻薬マフィア)のメデジン・カルテルとカリ・カルテルと戦っていて、さらに麻薬を運ぶのがロシアン・マフィアという複雑さだった。
資金の豊富なマフィアは武器を大量に持っている革命軍と手を結んで、さらに革命軍の武器は麻薬代金の取引上ロシア製が多かった。
コロンビアのマフィアとロシアのマフィア、さらに革命軍と鉄壁のトライアングルなのだ。
南米は面白いところですが、底知れない危険性があります。
闇から闇へ、犯罪があってもなくても闇だらけ。
今の中東と同じです。
そんなところで仕事をしていたので、南米では安全とされていたエクアドルの首都キトに着いたのでほっとしていた。
エクアドルは鎖国をしているくらいで、アジアのブータンに似た国情だった。ブータンと違うのは、産業はないが宝石が豊富に産出されていた。
エメラルドと言えばエクアドルと言われたくらいです。
コロンビアもエクアドルも、お隣のペルーもボリビアも、インカの色が濃い。
キトの街を歩けば、インディオそのままの方たちが、インディオの想像どうりの姿かたちで闊歩していた。
ホテルから見ると、街角にある広場や公園を、標高2500mのモワーとした白い霧が横切っていくのが如何にもエクアドルだった。
エクアドルには、お隣のコロンビアのようなマフィアがいなかったのも面白い。
陸続きの国でも、国境を超えるとガラッと国情が違いました。
シルバーのペンダントです。
ブルーグリーンの台石が何かは知りません。
もしかして翡翠かなー。
かわいらしいでしょー。
銀(シルバー)なので手入れしていなかったので黒くさびています。
部屋に飾るほどの大きなアクセサリーじゃないので、欲しくなったら衝動買いですね。
金のペンダント。
何の図柄なのかわからないけど、美しいなーと思い、これも衝動買いです。
実は、実は、、、もっと高価な宝石を買ったのだが、、、。
エメラルドやルビー、サファイヤ、ダイヤモンド「もう一つが何だったか覚えていない」の、5つの宝石が組み合わさった、5つ星のペンダントを、何を思ったのか、、、男の私が買ってしまった。
なけなしのお金、もう記憶にないが100万円ぐらいはしたはず。
エクアドルは世界の最貧国と言われていて、日本の物価の数十分の一だったし、しかも宝石の産地だったので、それくらいの金額で素晴らしいできだった。輪っかの中に5つの宝石がぶら下がっていた。買う気がなかった私でも、値段を見て欲しくなったものです。その時は彼女もいなかったんですぞーーー。でも、美しいものには敬意を払うのが男だと思ったものです。
ところが、5つ星の宝石は私が持っていたのは、、、ほんの数日だった!
エクアドルを出るまでの数日間で、エクアドル国内で、その”宝石だけ”盗まれたのだ。
ホテル内だと思うが、どうやって???
その宝石の金額だけで、エクアドルの人の年収の数倍ぐらいするので、ずっと宝石を買った私の後をつけてきて、ふっとした間にその高価だった宝石だけ盗まれたようだ、、、。
だから、私が買った5つ星を、見ていたのは数日間でしかない。
夜、ホテルでちらっと見て、またバッグの中に奥深く隠していたのに、、、。
それ以来、宝石は私に合わないと思うので買うことはない。もともと不釣り合いなんだと観念しました。
この象嵌はもっと古くて、20代の中頃だったか、スペインからモロッコに船で渡ったりして旅していたころのゲットしたもの。スペインのトレドという古い城下町のペンションに居を構えていた時に、海を渡ったアフリカのモロッコは絶対に行ってきなさいと言われて、ペンションを1部屋借りたまま、行先も決めないで期間も決めないでジプラルタル海峡を渡った。
モロッコのタンジュールに着いたら、船のタラップの下を見たときに足がすくんでしまった。
タラップの先には、、、何千人もの真っ黒な人たちが下船してくる人を待ち構えていた。
仕方なく、、、海に飛び込むような気持で、黒い渦の中に飛び込んでいった。
いろいろあったが、アフリカの旅は入り口は緊張したが、その後は実に面白かった。
1ヵ月ぐらい北アフリカを回り、スペインのトレドに戻った。
アフリカでは命の危険はさほど感じなかったが、ヨーロッパの片田舎だったスペインでも、緊張がぷつんと切れるくらいホットしてトレドの生活を楽しんだ。
トレドに居ついた日本人女性が1人いた。
日本人の画家のご夫婦も1組いらして、いろいろ面白いことを聞いた。
トレドからお隣のアランフェスという町でお祭りがあると聞いて、日本人女性と二人で屋台を出そうと言って夜にヒッチハイクしてアランフェスに行った。お隣と言っても100km以上あったんじゃないかーーー。
お祭りでその日本人女性がワイヤークラフトを実演販売したのだ。
ワイヤーをペンチひとつで、あっという間に何かの形に仕上げたり、ネームを作ってやると、みんなびっくりされていました。日本人は手先が器用なんだなー。
私は何もできないので、その屋台の呼び込みでした。
でも、バンバン売れるわけでもなく、そのお金でヤシの実をひとつ買って2人で分けて食べました。
ヤシの汁も美味しかったが、私はシコシコした真っ白なヤシの実が大好きになった。
異国の地で、知らない街で、アランフェスはなんだか聞いたことのある町の名ですが、、、お祭りの出店をやるとは、若かったんだなーーー。
祭りが終わって帰ろうとすると、その日本人女性がスペインの若者のたちと仲良くなって、彼らの車に10人ぐらいぎゅうぎゅうに乗り込んでマドリッドまで遊びに行った。
マドリッドのナイトクラブで踊りまくってきたのは、遠い遠い昔の思い出です。
この象嵌はトレドで買ってきたもの。
大きなものは高価ですが、ブローチぐらいだったら買えます。
トレド市内を知り尽くしていたので、一番上手な職人さんのお店で購入したものです。
若い時は時間が無制限にあると思っていましたから、、、職人さんの手先をずーと見て、しゃがみこんで片言の英語とスペイン語で話していた。
この象嵌は、箱の中に45年。
金なのでピカピカです。
若い時にこそ旅しろよーーー。