Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ダウンロードが腑に落ちない

2010-07-17 | 生活
今日は後程オンライン出来るだろうか?埒が明かないので、朝九時過ぎにはテレコムに苦情した。なんと此方に連絡が付かなかったとか。それは公開電話番号に掛けていたのでは此方は呼び鈴を相手にしない。問題のISDN回線と同じ電話番号を教えているのにそれに掛けない。なんたる情報の錯乱か。

午後に来ると言っていたが、早めに済んだ。なんと朝十時から快調にダウンロード出来るようになっている。サーヴィスのお兄さんに言わせると、回線状況は万全なので、やはりモデムに原因がありそうだと説明する。「替えないといけない」なら、テレコムの物だから替えてよというと、「初めに購入されている物だから、新たに購入して貰わない」と仰る。

完全にそこに原因があると特定出来ないのにそれはおかしいなとなかなか納得出来ないので、「同じ買うなら新たな早いものに乗り換えるよ」というと、「それなら直ぐに電話させる」と、件の電話番号をメモして帰って行った。

「どうも腑に落ちないな」と、次にダウンロードがストップする時をまたかまたかと待つことになるのだろうか?とにかく様子をみる必要がありそうだが、オンライン出来ないのは困る。

アップロードが出来て、ダウンロードが出来ない。それもその時々でデータが流れると、幾ら十年経ったモデムでもこのように壊れ方するようには思われない。
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仕方ないのかも知れないが

2010-07-16 | 生活
やはり駄目である。ネットが使えない。金曜日に電話するとか言っていたのがおかしかったが、それまでに回線をかえる人員はなかったのだろう。そろそろ我慢も限界に近づいている。昨晩は、苦情処理のアンケートの電話まで受け取ったが、その時点では流れていたようなものが今は全然駄目になっているのである。

涼しくなっているので、お茶を点てた。名人のそれを味わって以来初めてであるが、なによりも抹茶が美味かった。いつもよりも高い裏千家用の薄茶を買って入手したからかも知れないが、温度も良かったのだろうか、これだけ甘いお茶を久しぶりに啜った。あれだけプロのお手前を見せて貰ったので要領が良く分かるようになったのも良かったか。これで免許皆伝かと自惚れたのが悪かった。二杯目のお湯が、火がないのに鉄瓶のため吃驚水効果が消えて、前よりも熱くなっていた。おそらく茶碗を最初に温めていなかった分温度にチグハグが出てしまった。こう言う所がやはり手順をしっかり守っていないと駄目なのだ。

ついでに温めのお湯に浸かった。昨日の疲れを落とすためである。三本しか登っていないのでなんてことはないのだが、昨晩はとても暑く、夕立に襲われて急いで帰って来た。風呂桶読書は、ドイツ山岳協会の講師が奨める室内から室外へと、岩壁からアルプスのスポーツクライミングへと向うアドヴァイスを復習と、そのガイドラインに注意しながら読む。

何よりも感じるのは、なるほど我々が三十年以上前に最先端の技術として扱っていたものは、なるほど活きているのだが、場面や状況が多様化するに従って、最も安全で確実な方法をガイドラインとして採用することで、間違いが起こり難く結果安全になっているのは間違いない。細かな推奨では、スイスやオーストリアのそれとも若干異なるのもそれはそれで仕方ないかも知れない。
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動脈硬化も怪我の功名か?

2010-07-15 | 雑感
前回の記事をアップしてから再びダウンロード出来なくなった。結局、本日もその苦情に忙しかった。結論として、違う回線を使うことになった。なんでもない、古いISDN回線を使っているので容量が足りなくなっていたのだろう。今時遅い回線を使っているのが悪いと言わんばかりである。

直す前から、金曜日に電話するから、新しい契約にしましょうと来た。もちろん現在のスピードではYOUTUBEでさえ先にダウンロードしておかないとVIDEOが一気に見られない。どうでも良いのだが、それぐらいは早い方が良いといつも思っている。

他の契約は弄る心算はないのでが、少しだけでも早い契約にしておくと今回のような問題も起こり難いかと考える。それにしてもあそこまで遅くなるまで回線を放っておく気が知れない。

新聞を捨てるついでに折り込んである小冊子を捲ってみる。その一冊はゴー・ロングライフと称するもので、高齢化社会にはますます市場が拡大している分野であろう。今回号の冊子には三つのスポーツが推奨されている。一つはヨット、一つはロッククライミング、一つはマラソンである。ドイツ・アルパイン協会からのアドヴァイスは次ぎのようである。

力の柔軟性、意欲と節操において、年齢に関わらず挑戦できるスポーツとなっている。集中力が肉体と精神を同一させるスポーツは、断崖絶壁にへばりついているところでは、過去への将来への思いも余地はない。

クライミングで自然に馴染む、肝の座った者達が集い、特に壁での日を過ごした後では、一グラムも体重を気にすることなく炭水化物一杯のヌードルを食べ尽くすのである。

なにか老人の人生と食欲が切り離せないような如何にも高齢者好みの紹介文である。
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苦情処理の冷却の方法

2010-07-14 | 生活
昨晩は水風呂に入って高遠な話題を書き込もうと考えていた。それが熱気のせいかここ一週間ほどかけて遅くなっていたネットからのダウンロードの数字が殆ど零に近づいて、メールまでダウンロード出来なくなって仕舞った。

今朝は予想通り肌寒く、セーターまでは要らないが、とてもTシャツと猿股では過ごせない、まるで高地の山小屋に居るような気分になった。本来ならば仕事も捗り、何も言うことが無く気持ち良くデスクワークで過ごせたのだが、如何せんネットの不通はどうしようもない。

陽射しも強く、夕方になって流石に夏の夕べらしくなってきた。テレコムからの電話は掛かって来なかった。原因を調査して知らせるということだった。そもそも午前中にメールが受け取れない状態になって、ネット情報がないので先日とって来たばかりのイエロー頁をみて電話したのだった。

「電話回線もネット回線もなんともないわね」という小母さんは、「もしかして地下から上までの間かしら、それなら有料で誰かを派遣しないといけない」とまで言ったのだ。そして「今確認したから、十分後にもしこれで駄目だったら、もう一度電話して」と言われ、前回の原因であったルーターは既に分解までして作動を確認してあるが、ルーター無しでダイレクトに接続して試してみた。

それで駄目であったが、窓開けっ放しで寝込んで未だに疲れているので一休みして、昼過ぎに再び分配器からモデムまでを電源を入れ直して、再び挑戦した。やはり駄目なので、有料修理覚悟で電話すると、もう一度原因を調べて連絡すると電話を切ったのである。

噂によるとこの暑さのせいかどうか、かなりネットの元となっているサーヴァーの能力が落ちていたのは確からしく、今回の問題もそれとの相乗効果が齎したサーヴァーの整備不足というのも考えられる。兎に角現在は、アップ、ダウン双方に可也のスピードが出ているようで、利用しているネットの回線からすれば完璧である。

何よりも腑に落ちないのは、値上げをするだとかなんとか言うような時期になると整備不足からか、しばしば速度を落とすようなそのサーヴィスのやりかたである。少なくともそのように勘ぐられるような一件であった。昨日などは昼間にスピードが出て、朝晩はお休みというような状態であった。一体あれは何なのか?そして今回は前回のように此方のシステムつまりルーターに嫌疑が掛からなかったのを不思議に思っている。少なくとも「此方の家内の回線が悪い」と疑えば、此方もそうかなとあまりテレコムが悪いとは思わせないのがなかなか巧妙にも思えて来る。掃除機も塵パックはまだ十分な筈なのに今日は吸い込みが心なしか悪かった。これも暑さのせいだろうか?
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盛夏に夏の終わりを惜しむ

2010-07-12 | 生活
天気予報を見ると、今日から明日が山だろう。昨晩は雷雨のお湿りが来て、余計に蒸し暑くなった。温度は下がったが、昨晩が最も寝苦しい夜であった。そして今晩から明日にかけての最低気温が摂氏二十度を越えているので最も寝苦しい夜となりそうだ。

早朝の曇天の中を五キロほど登って、走って下りてきた。四十分の中で十二分ほどを走る。五千歩の数も丁度良いだろうか。とっぷりと汗を掻いたが、陽射しがない分比較的気持ち良く走れた。これで、十五分ぐらいは走る体作りが出来たかと思われる。

先日のことである。今日と同じ登りを上がっているとがさがさと音がするのでマウンテンバイクかと思ったら、斜面の右下方から二匹のバンビが此方を目掛けて突進して来て驚いた。先方よりもこちらの方が早く気が付くのがバンビの特徴のようだが、つがいらしき一匹は下方へと走り去り、もう一匹の雄と思われるのは左上方へと駆け抜けて行った。二頭を追うものの場合で、なかなか先方も学があると思った。その斜面の上の方をみると陽射しの中で上に逃げたバンビは此方の様子を伺っていた。

二度目のシャワーを浴びて朝食を摂って、一寝入りして起きるともう暑い。三度目のシャワーを浴びる。このまま八月まで続けば、当然のことながら最低気温の三十度近い熱帯夜の2003年のようになるが、そのようにはならないだろう。週が明けて暫らくすれば、朝晩は冷えて来るようだ。そうこうしている内に今年の短いであろう夏も終わってしまう。

さて今夜も思いっきり唐辛子を効かした棒棒鶏の準備でもしよう。昨晩のレープホルツ醸造所の雑食砂岩カビネットは、糖が殆ど無く涼しくて美味かったが、あまりに軽すぎて殆ど一気に飲んで仕舞った。今晩は足りなかったらどうしようかと考える。耳の裏に汗を掻いている、そこに風が吹き込むように蒸発熱が奪われて冷却している。あまり今までこうした耳朶裏の冷却装置に気が付いたことはない。
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認知、直感的に安心させるもの

2010-07-11 | アウトドーア・環境
先日のモードのことを考えた。芸術でもなにでも同じであるが、新たな発想を投入したり、それへのなんらかの認識を得るためには、歴史文化もしくは社会文化的な知識やそれに基づいたコンセプトの提示なくては、それは理解不可能となり珍奇なものでしかありえない。

こうした事象は、主には言語的な記号論的な視点で捉えることも出来るが、更にそれを環境として認知論的に捉えるとマルティン・ハイデカーが「存在と時間」のなかで唱える次ぎの定義となる。

「森は営林であり、山は石切り場、川は水力であり、風は帆船の風である」

ここで早計に環境を、この哲学者が言うように「自然は、自然の猛威ではない」と単純に捉えて、ニッチェ、フッサールを通してプラトニズムからの脱却と考えてはやはり、この環境の意味は理解出来ないかも知れない。それは直感的に分かるだろう。

こうした難しい事を考えると、ついついと桃源郷に落ちて行ってしまう。それも特定の概念や状況を残しての夢入りである。熱いナスのスパゲティを食しただけで汗が噴出して、濡れないように急いでTシャツを脱いで、冷たいシャワーを浴びる必要が生じた。なるほどバルコンでこれだけの高温を計測することは少ないのだが、フェーン現象のそれのような熱気ではないところが今までの暑さとは異なる。更に陽が高いので室内に陽があまり入らずに比較的快適だが、一斉に噴出し流れ出す汗に、まるで鼻血でも突然吹き出したかのように、自ら驚く。

元々考えていたのは今年から新商品となった二つの醸造所の二つのワインである。一つは、南ワイン街道のレープホルツ醸造所が世に問うた「ナテュウアシュプルング」と呼ばれる雑食砂岩の石灰混じのない地所ガンツホルンからの塩味のリースリング、もう一つは、ザールのシュロースザールシュタイン醸造所の「グラウシーファー」と呼ぶ商品で、嘗てはカビネットのグーツリースリングとして出されていたものである。二つの商品に共通するのは商品名の命名であるが、その実際は殆ど以前から体験して知覚していた中身なのである。つまり前者においてはグランクリュのガンツホルンとしての味筋であり、後者においてはベーシックなリースリングでったのだ。しかしこうして紹介されることで、特に前者は熟成までの一段階早く落とした葡萄の房で更に辛口に醸造してその特徴を際立たせて、後者においては土壌を名乗ることで消費者にそのミネラル成分に注意を齎すことになる。そして双方ともが、決して奇異な印象を与えることなく納得出来る商品となっているのは認知が前提としてあるからに他ならない。

それにしても今日は何度水シャワーを浴びたことだろう。七時近くになって漸く涼しげな微風が吹いて来た。毎日のように四リットル近くの飲み物を作り、それを冷して一人で消費している。



参照:
カーネルさんのサマーコート 2010-07-07 | 生活
進化という自然環境の神秘 2010-07-03 | アウトドーア・環境
このお米を炊きました。 (saarweineのワインに関してあれこれ)
ザールシュタイン 2009 グラウシーファー♪ (ワイン大好き~ラブワインな日々~)
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週二回練成の夏休み日記

2010-07-10 | アウトドーア・環境
今シーズン最初の週二回目のクライミングであった。登りに行くよりも、これから正式に石切り場を地元のアルパイン協会でも使うための事始の心算で出掛けた。若い意欲のある山岳リーダーが毎週金曜日にそれを公に実施するというのでそれを全面的に支持協力するためである。既にいつもの水曜日の仲間である石切り場開拓者にはその旨を伝え、陰ながら協力して貰う下馴らしをした。

政治的に動く人間などは居らず個人的に良く知っている仲間なので問題はないと思ったが、出来るだけ外交的に下準備をすることは将来的に必要と考えた。もちろんそれは最終的には石切り場を管理している自治体との軋轢のない良い関係を保つことになる。

元々我々の支部は、アルプスから遠く更にワインを飲んでいるだけの支部なので、会員になってから今まで一度もその活動に満足したことはない。百人以上居るドイツ山岳協会NPOとして、シーズン中に毎週のように公式に活動していないのは全く解せないでいた。月一回のハイキングならなにもドイツ山岳協会支部でなくても良いので、少なくともアルプスで役に立つ技能は毎週のように何処かで研修出来る場は欠かせないと思っていたのである。

地元にはクライミング専門のNPOもあり、我々の仲間もそこに属しているものが少なくないのであるが、こうした同人組織的なところではやはり初心者の育成には不都合であり、アルペン協会の支部がこうした岩登りの週例会を設けることは、その広範なスポーツ的な活動への関心を汲み取っていくには不可欠である。

ハイキングに集まるおばさん方の中にはスポーツクライミングへの強い関心もあり、特に若年層の活動をこうしたところで包みこんでいない限りは、こうした協会は老齢化するだけで全くスポーツ的な意味を失ってしまう。そのような意味からも、クライミングなどは嘗てのアルピニズムの唯一つの必修分野でしかなかったのだが、そのスポーツ的な発展とポピュラリティーから、アルプスから遠く離れた地方の支部であるからこそ月例のハイキング以上の定期的なオファーを提供していないこと自体がおかしかったのである。

そのような理由で、自らの練成を兼ねて、十分な面々が集まるまでは週二日体制で通おうかと思っている。なるほど汗が湧き出てきて指が滑り放題であったが、少なくとも気温が高いことから怪我の危険も故障の問題も少なく、これで夏休みの宿題をこなせるかと期待している。



参照:ウトウトと昼下がりの夏季講習 2010-07-09 | アウトドーア・環境
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ウトウトと昼下がりの夏季講習

2010-07-09 | アウトドーア・環境
またまた、暑くなった。昨夜までに眠り溜めて置いたが、今日は今日で眠い。朝から、昨晩の疲れた身体を解しにいつもの道を五キロほど歩いた。流石に朝食のパンは美味かったが、快適なのも昼飯時までであった。

昨日の新聞には、オペラ歌手のチェザーレ・シェピが死亡したとある。今年になってからもローテンベルガーなど、戦後に活躍した一流歌手陣の訃報が相次いでいる。時代的に当然であろう。特に、前者の当たり役ドンジョヴァンニは、ザルツブルク音楽祭でのフルトヴァングラー指揮の録音や映画、更に巨匠指揮者死後のスタジオ録音や再映画化などで、そのデモーニッシュな役柄に相応しい声質は記録として残されている。

この暑い日にそんなものを鳴らす気は起こらない。何をしていても頭を使うとウトウトとしてしまう。まるでプール上りのように快くなってしまう。そんな折に今晩も昨晩に続けてお誘いのメールが入っていたが、明日一寸顔を出したいと思っているので遠慮した。三日続けての岩場通いは泊りがけや子供の時はあるが、殆ど記憶がない。

この暑い時であるから筋肉は柔らかくなっていて怪我をしそうにもなく、筋が痛む可能性は少ないだろう。昨日は限界域を続けて二本も登らされ、ヨセミテ帰りの爺さんに「四週間は出かけるから、その間にここを簡単に登れるようにしておけ」と有り難いお言葉を授かったのであるが、今日は精々丸一日以上は休ませて欲しい。もちろん明日も暑い中を体解しに一汗掻きに顔を出すだけで、それほど難しい場所を一生懸命に登れるとも思っていない。

折から始ったラインラントプファルツ州の小学生の夏休みではないが、岩登りも夏のこの期間に限界域に挑戦しておかないと今年の延び代は計算出来ないであろう。まさに天下を分ける「夏季講習」期間に他ならない。八月も過ぎるとやはり温度も下がって来て、なかなか運動能力の百パーセントを出し切るのが難しくなるだろう。それまでの勝負である。なぜか、夏の登攀を困難する掌の発汗も思いがけず大分減ってきた。



参照:週二回練成の夏休み日記 2010-07-10 | アウトドーア・環境
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守り切れなかった軋み

2010-07-08 | ワールドカップ06・10・14
戦前からドイツチームに軋みが入っていた。

個人の技術的にスペインに比べてドイツのそれが落ちる事が分かっていたので、守りの戦略を取ったのだろうが、スペースを与える反面スペースを見出せなかったのが敗因だろう。それにしても完全にスペインにボールを支配されたのには驚いた。オランダならもう少しやるだろうか。

なるほどレーヴ監督の言うようにドイツチームは七週間の即席チームで、スペインは何年もやっている出来上がったチームというのは、あのパスワークの素晴らしさだけでも良く分かる。ゴールの前であれだけパスを渡せれば、日本チームでもシュートできるだろう。

ドイツのジダンを目指すトルコ人エジールもまだまだ経験不足だろうか。ウルグアイもなかなかのエグイチームなので手ごわいかも知れない。主将のラームが三位決定戦など戦う気がないと言うのは理解出来る。

まさに軋みは、ビーアホッフといっしょにうろうろとしていた欠場のバラックにあって、チームの内外で主導権争いがあったと言うが、シュヴァインシュタイガーが最もこのチームの中で最高の選手だったと言うネッツァー氏の評価も分かる。

実力だけでなくて、ドイツチームの弱点も相手よりもよく研究していたのがスペインなのだろうか。
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カーネルさんのサマーコート

2010-07-07 | 生活
昨晩受け取った洋服の着こなしを考えていた。丸一日掛かったが、なんとか解決した。写真の縞模様をみて分かるように、ケンタッキーフライドチキンの小父さんのそれでしかない。そうである、ランディー・バースの身代わりになったカーネル・サンダース小父さんの格好で町を歩くことになるとは思わなかった。

正直、箱を開けてこの生地をみた時には驚いた。送り主から派手とは聞いていたが。繊維会社の開発担当の人とは色々と話したこともあるが、まさか自分がマヌカン(間抜け?)になるとは昨日の昨日まで考えてもみなかった。

興奮気味に袖を通すと余計に汗が出て、ますますシックリと来ない。色々とシャツを着替えて試してみるが似合う似合わない以上に、サイズが一つ大きく更にそのあとにレギュラーを意味するRが付いている。自慢ではないが、比較的小柄な英国人に比べても私はSつまりシュートである。当然であろう。なんとか長い袖をどうにか片付けようとするがとても難しい。

約束の女性が来るのを待っていた。彼女の意見を参考にしようと思ったからである。しかし全く駄目である、こちらが感じている滑稽さはどうしようもない。大き過ぎると言い出す。要するにジャケットか半コートかなにかわからないと言うのである。しかしこの視点は役に立った。結局は、サマーセーター代わりのサマーコートなのであるから、適当に着たいのがハッキリした。おしゃれ過ぎて素材も良く、形も綺麗なので、どうしてもシックに着たくなってしまうのだ。すると、コメディアンの道を進むしかない。

そこで初めから気がついていた、通常はジャケットの場合縫い付けてある長い袖の掛けボタンを外して色々と巻き込んでみたりしてみた。しかし裏地の色は良くても生地感が魅せるには合わないのである ― 裏地が人絹で無く本絹ならそれはそれで余計に難しくなったであろう。そこでやけくそになって、腕まくりしてみた。そして適当にボタンを掛け外したりして見た。すると、なんと袖が蝶のように開いて、更に風通しが良くなって急に気心地が良くなった。

そして袖の「遊び」が決まると、あとは早い。そうである六十年代のようにポップさせれば良い。ミック・ジャガーやローリング・ストーンズではなさそうだが、エルトン・ジョンか、私は?靴も、帽子も、眼鏡もトンボの停まるようなものにしなければいけないか、もしかすると車も尾が長く伸びているオールディーズを買わなければいけないかと興奮して更に汗を掻く。そうなると芸の一つも出来ないと具合が悪いかと、胸元に鳩ならずチキンを隠しておくべきかななどと真剣に考える。

そして落ち着いて、Tシャツなどを合わせてみると、なんてことはない、気心地も最高で涼しくて快適そのものなのだ。自分が落ち着くと、見ている人も落ち着く、何もかもシックリといくのである。そうなのである、このモードのコンセプトがこれで完成した。結果からすると、なんていうことはなかったのだが、コロンブスの卵である。これで胸元から卵を取り出す必要も無くなった。
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あれがヴヴゼラの響きか

2010-07-06 | SNS・BLOG研究
昨日の日曜日まで気がつかなかった。ヴヴゼラだったのだ。六月のワイン祭りの前から時々聞こえる喇叭の音があった。祭りの開催にワインプリンセスを迎えて、城の上で吹奏する練習かと思っていた。要するにちゃちな楽器の音出し練習と思っていたのだ。

それが厨房で洗いものをしているとまた同じような音がするので、そちらを覗くと五歳ぐらいの近所の女の子があれを手にもって振り回しているではないか。なるほどあれを吹いていたのである。思いがけず低い音が出ていたので全く想像もつかなかった。あんな単純な中国製のものであれだけの音が出るとは正直驚いた。

そう思っているとBLOG「あるホルン吹きによる音楽の部屋」でベルリンのコンツェルトハウス管弦楽団楽員の「演奏」が紹介されていた。
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グラン棒棒鶏で十二分に涼む

2010-07-05 | 料理
お湿りが来たので少しは涼しくなった。雨は全然足りていない。明け方降って、パンを取りにって歩いている時に再びザーッと降っただけである。走って戻れるように運動靴で歩いたが、十分もすると騒がしく降ってきた。家の窓を開けているので急いで帰らないといけない。それでも無理をせずに最高到達点まで、二千七百歩、二十五分ほどじっくりと我慢して歩いた。下りに走り通そうと思ったからである。お蔭で十二分ほどを千歩ほどで掛け降りた。林道ではあるが、でこぼこやら木の根やら、砂地があって転ばないように走るので歩幅は延ばせない。しかしそのお蔭で丁度良い運動が出来た。これで、飲み食いも無理なく出来て、週始めは身体を休められる。気温は五度から十度近く最高気温も最低気温も下がる予定なので、気持ちの良い週を迎えられるだろう。下りとは言いながら距離が伸びたので脚が疲れている。一度は躓きそうになって危なかったが、体もビショビショになることは無く車まで戻ってきた。

昨晩開けた2008年産のグランクリュの続きを楽しもうかと思うのだが、急に蒸し暑くなってきた。ライン河沿いでは降っているようだが、その分ここは入道雲を照らす陽射しも強くなって、とても蒸し暑く、まるで日本の梅雨のような感じになってきた。今朝は、ハイドンから、ノーノ、シューベルトまで聴環境を漕ぎ着けたのだが、やはりマンハイム楽派へと戻る。それでも今度は冷たい響きの現代楽器の音盤から古楽器の鄙びた音へと変えたが、やはりもさもさしていて暑苦しいと言うか眠気を誘うばかりだ。

音も印象でこれだけの温度差があるのだから、口に入れるワインは尚更に温度差が激しい。昨日はこのレープホルツ醸造所のゾンネンシャインは十分に冷えていなかったが、新しいグランクリュとしても決して飲み難い事はなかったのである。その最大の功績は、2008年産の色の強い臭みのある酸が、この醸造所では雑食砂岩のカビネット同様、大変癖が無く素晴らしく出来上がっていたことである。更に昨年の秋に試飲会の節に飲んで、早めに飲み頃になるのを確認しておいた。要するにこなれているのである。またその地所の名称がまた夏らしくて良い。

予想を裏切らず素晴らしい飲みごごちである。流れ着いた石灰の推堰が雑食砂岩特有の素っ気無さに丸みを添えているが、それが丁度良い飲み頃となっているのである。パッパーミントやらその恐らく石灰から来る土壌感がホッホハイムのデムデカナイを思い起こさせる。初日に暑い中をグラスに暫らく置いておくと腐ったようなとても酷い味を醸し出していたが、流石に冷蔵庫に入れておいたそれは翌日も無事で十分に楽しめた。但し、酸の肌理の荒さは2008年の特徴で如何せんどうしようもなく、開いて来ている分だけ、下位の新鮮なカビネットクラスでは感じなかったこのヴィンテージ特有のエグミが出てくるのである。しかし、これはビュルックリン・ヴォルフ醸造所のペッヒシュタインを飲んでも同じ事で、2008年のヴィンテージとして受け入れなければいけない。それでもグランクリュのゾンネンシャインを今後瓶熟成しようと思えばとても難しい判断が要求される。そしてその土壌から大きな将来は期待出来ないとすると、名門醸造所並みの価格を要求するこのグランクリュのCPは決して高くない。それを知っているから、幾ら今美味くとも2009年産のこれは予約していない。このリースリングを暑さの中で十分に楽しめたので十分である。悪くはないが、二十ユーロのドムデカナイのグランクリュと比較してどれだけ価値があるかと言えば、ただただ評価本で評価されているだけのことであろう。味は良かったがドイツのグランクリュリースリングとしてはB級であろう。

ぬるいオリーヴオイル風呂に入って、おろおろと体中から力が抜けて、一寝入りすると殆ど金縛りのように疲れが一気に出た。胡麻味の棒棒鶏も山盛り食した。これで言うこともない。言う力もない。



参照:
言わずもがな、波打つ眼窟 2010-06-28 | 試飲百景
進化という自然環境の神秘 2010-07-03 | アウトドーア・環境
親しみ易いロートリーゲンデス
筆舌に尽くし難い夜 (新・緑家のリースリング日記)
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夕立を待ちながら空手水

2010-07-04 | 生活
一雨来るのを待っているところだ。冷蔵庫には2008年度産のグランクリュが冷えている。皆と同じように、冷え込みのなかった夜中の眠りが浅く、寝坊した。それでも午前中には買物に向った。

車のラジオはいつものお客さんを迎えての音楽番組であるが、今日は趣が異なる。マーラーの研究をしている何処かで聞いたような声を聞いた。それでもその内容は「魚に説教する」交響曲第二番の形式や「歌の無い民謡」の面白さなどに焦点が当てられていたので、今日のお客さんは音楽学者ではなく美学者であったのだろう。

車の乗り降りの間に聞く、シャイー指揮のコンセルトヘボー交響楽団やギーレン指揮のSWR饗の七番「夏の歌」の演奏などはクーラーの効いた車内では耳を傍立たせるには十分であるが、態々この暑い時に家で鳴らそうとはやはり思わない。殆どは聞きそびれたが、戦後の最もマーラーに近い作曲家としてヴォルフガンク・リームの主観性と単純性を挙げたのを聞いたのは良かった。流石に人文学者らしき意見であろう。

本日付けの新聞を開けるとマーラーの特集記事が二面ほど続いている。いつもの女性音楽評論家の記事なので大した内容ではないであろうが、少しは新しい情報が書き込まれているかも知れない。水風呂にでも入りながら流し読みしてみよう。

この暑いときにはハイドンのピアノソナタ集やマンハイム楽派の軽いものが、適度なユーモアや情緒で身体に気持ち良い。丁度、茶の庭の路地の飛び石を通って蹲踞に歩み寄るような按配なのである。



参照:
ドイツ鯉に説教すると 2005-03-14 | 文学・思想
言葉の意味と響きの束縛 2006-04-15 | 音
交響詩「彼岸の入り」 2006-10-05 | 音
モスクを模した諧謔 2007-10-02 | 音
大芸術の父とその末裔 2006-11-24 | 音
本当に一番大切なもの? 2006-02-04 | 文学・思想
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進化という自然環境の神秘

2010-07-03 | アウトドーア・環境
バルコンで、ザイルの勉強をしながら、一杯やっていた。エチケットが変ったドイツ高級ワイン協会VDP会長の醸造所クリストマンのリッターリースリングも悪くはなかったが、グーツリースリングもなかなか良かった。それでも少し価格が上のVDPプファルツ支部長のレープホルツ醸造所の雑食砂岩の二種類の方がやはり美味い。土壌も質も厳選されていれば、上手く混ぜ合わしたキュヴェーよりも美味いのは当然であろう。

ドイツの高級リースリングの良さは、その土壌即ちテロワールが上手に出ているかどうかで決まる。つまり収穫量を落とし味を凝縮させて、手摘みで健康な葡萄だけを丁寧に収穫して、可能な限りその地所に無関係なものを加えず醸造するだけである。それによってはじめてご当地ワインが出来上がり、その土壌の良し悪しが明確になる。

その延長線上にブュルクリン・ヴォルフ醸造所のゴールトベッヒャエルがある。既に四週間ほど前に試飲して、解禁日の前日顧客としては最初の瓶を家に持ち帰り、一本空けた。試飲のときとの変化はないが、飲みごごちや明くる日までの変化を楽しんだ。土壌云々の美味さの説明が容易に信じられないほど素晴らしい。基本的には上のレープホルツの新商品「ナトューアシュプルング」に代表される塩味の効いたリースリングであるが、それより七ユーロほど高く、その価値も殆ど倍ほどである。即ち「残糖値が低い本格的辛口であると同時に、塩味が強いと言うことは酸を強く感じない」と言う意味でもある。

その説明とは、ただ「ビオデュナミによる土地改良を進めて、根っ子が深く岩盤にまで届くようにした」と言うのであるが、これほどに比較的平地にある何の変哲もない区画がこれほどの輝きを見せるとは驚きである。我々昔からの顧客にとっては甘口から半辛口へのリースリングの土壌として馴染みがあったのだが、まさかこのような変貌を遂げるとは驚き以外の何ものでもない。

プリュミエクリュとして、目玉商品が増えた。特に2009年産は天然酵母のみの発酵醸造であり、その土壌の特徴を偽り無く見せている事になる。レープホルツ醸造所の最高の区画であるガンスホルン並みの地所が、一寸その辺りに一角あると言うだけで、如何にミッテルハールトのこの辺りの名門醸造所の地所の財産価値が他とは比較出来ないかが伺い知れる。

さてそのワインに言及すると、レープホルツのそれよりは果実風味が高いため明らかに馴染み易いが、それでもこの醸造所の商品としては「はじめての通向き商品」とも言えようか、それともフランスの白ワインのような苦味も楽しめる「渋い商品」とも言える。但し、酸の肌理もそれほど細かくなく、あとに長く靡くような余韻や深みまではないのは仕方がない。

こうしたミネラル風味がウンゲホイヤーとかの一級地所で特化されるほどこの辺りの葡萄の栽培状況が進化するとなると、農業における自然環境の神秘を感じない訳にはいかないであろう。



参照:
言わずもがな、波打つ眼窟 2010-06-28 | 試飲百景
退屈凌ぎに将来への新たな一歩 2010-05-31 | 試飲百景
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知的批判無くては何も無し

2010-07-02 | マスメディア批評
ゲルハルト・リヒターを気取って暈けた写真を撮った。天気が良くてシャッター速度が早すぎた。リヒターが怒っているのは、嘗てはボイスや自らが連邦共和国を代表する芸術家として選ばれたように、シュリンゲンジーフがヴェネチアにおける万博の芸術家に選ばれたことである。全ての責任は、フランクフルトの現代芸術美術館の館長ゲンツハイマー女史にあるのだが、「パフォーマーなら五萬といる」としたのは笑わせる。

ミュンヘンの歌劇場主催で、ルイージ・ノーノのオペラ「イントレランツァ」を素材にした演出は無事に終わったようだが、「決して理解出来ないアフリカ文明」との接触がテーマとなっている ― 要するにハーバーマス的な思考展開である。シュリンゲンジーフが行なっているアフリカのオペラ村建設と平行した催しである。一方のリヒターのアフリカを題材とした作品は先日サザービーにて五百万ポンド近くで競売に掛けられているが、これをみただけでどちらの方が市場構造を突き破る破壊力を持っているかは自明である。これは、戦後の連邦共和国とか六十年代とか言うイデオロギーのお話では全くなくて、事実なのである。一体、札束でお行儀良く交換されるものに、その市場を破壊する力などはもはやない。

なるほどアフリカにオペラセンターを建設するためには金がいる。国の財政赤字を解消することが最も効率の良い社会投資を行うことの前提であるように、経済の効率的な運営は最重要課題である。そしてこうした芸術批判は、何よりも社会的な知的な作業の中心にある。それは、連邦共和国大統領選挙にFAZなどがガウク氏を推したことが大きく影響を与えた事にも言えて、知的批判は社会発展の基礎にあることを忘れてはいけない。少なくとも、芸術とかなんとか宣う前に、批判精神を身に付けるべきである。



参照:
Hilfe! Afrika ist nicht zu helfen, Provinzschwarz:Schlingensiefs Münchener Operndorf, Gerhard Rohde,
Hallo, Bürger, macht mal Staat!, Edo Reents, FAZ vom 28.06.10
Im Provokationsdorf, Warum kriegt Schlingensief den Pavillon in Venedig?, Swantja Karich, FAZ vom 30.06.10
Mit den Klassikern der Gegenwart als Trümpfe, Anne Reimers,
Die Spitzentitel der Kandidaten, FAZ vom 26.06.10
INTOLLERANZA II (SCHLINFENSIEF)
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