日進市の市民会館で市が主催している高齢者教室の俳句部「寿」講師の等々力さんが亡くなった。
最後の講義は何か思うところがあったのか、一時間延長して熱心にやりとげられた由、痛ましい限りである。誠心誠意をつくす立派な先生であった。
等々力さんとは、十六年間師弟の間柄で、最初の二年間は俳句のイロハも解らぬ私と同じ生徒同士だったが、やがて前任者を引き継いで講師になられた。
最初の出会いは市が高齢者のために開く四年の大学で「あじさい学園」だった。
大学は他の学部門と共に卒業式があり、総代で卒業証書を市長から受けられたこともあった。
大学は社会の高齢化によるものか市の対応が変わって、いつまでも在席できるようになり、泣かず飛ばずの不勉強な私は学生生活を楽しく送っていたが、再び役所が無作為に選んで退学させるようになり、最初に心ならずも卒業、となった。
四年目に句集を出す時、序文を書いて頂いたり全体をみていただいたり、家の近くの「明楽神」で会ってアドバイスをしてくださった。
それから二年ほどして夫が亡くなった時、さびしいだろうと「無限図」を紹介していただき入ったので血脈は切れなかった。
常に細心の心配りのできる方であった。
十六年の間には毎年1回、市の車で郊外の名所へ吟行に行くのが常であった。
中でも忘れられないのは、平成16年の伊賀上野の吟行の旅で、芭蕉の俳聖殿を尋ねたが、芭蕉の生家まで足を伸ばしたのは先生と私だけで、仲良く詠んだ句は先生「つづれさせ土間の向こうに釣月軒」。 私「地震ありぬ釣月軒の破れ芭蕉
」 が忘れられない。
毎月 俳句アルファーから選んだ「現代かなづかい(新かな)」「歴史的仮名遣い」「漢字表記」など、句に大切な基本をいただいたことも懐かしく思いだされる。
東郷町の有元氏をトップに「にぎわい句座」を立ち上げたが、第一回の展示会にも、芳名帖に記銘いただいた。耳が遠くなられたので「無限図」で隣り合っても挨拶くらいで、あまり会話がなかったにもかかわらず、去年第二句集を出し差し上げると、丁寧な感想をしたため封書で送ってくださった。
家族葬とのことで、通夜に駆けつけて追悼句をお供えしてきた。
「寿」会員の方達は葬儀に行かれ「ふるさと」「千の風になって」などを合唱し涙涙の会葬であったと聞く。御冥福をお祈りします。
俳句 悲しみに身の浄まりて寒の水
待春や「惜別」の歌胸に秘め
初めて文法を学び、熱心に教えていただきました。
最初の吟行は安城のデンパークで、未知の世界故に、先生、先輩諸氏の動きをしっかり観察していたのが昨日のことのようによみがえってきます。
有松絞に行った時には、 「海鼠壁」を教えていただき、詠んだのもこの吟行の大きな成果でした。
思うに先生は、最後まで受講生にささげた俳句人生だったと思います。
そのご恩に報いるためにも、時には投稿して自己を磨きたいと思います。
目を閉じるとあのやさしいほほ笑み、お声が昨日のことのように思い出します。
次の世でも、きっと日々詠んでおられることと思います。
次の世に旅発つ恩師冬の雲