おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

携 帯 電 話

2010-06-20 20:25:12 | Weblog

 携帯電話を持つと言っても現役時代ポケットベルを持って営業をしていたので、聴く事や物を言うことにはたいした苦もなく適応できた。
 ワープロを打っていたので、それと違う日本語のメールも楽しくて家族と良く交信していた。
 そのうちにパソコンを買ってブログに入れる写真も携帯で写したのを取り込んでいた。
 私が携帯か携帯が私かと思う程必需品となり、枕元に置くやらお風呂にまでお供をしていた。
 5年経ったある日「サービス期間が切れるので変えるように」と通知が来ていて3月31日の深夜変わった信号音がして切れてしまった。
 翌日近くのソフトバンクに行くと待ってましたとばかりに「この中のどの色が良いですか」と言われてシルバーを手にした。
 新しい機種の説明も殆どないまま契約書に署名捺印をして帰ったがそれからが大変余りにサービスメニュウが多くて、何かをしようとすると、神経が磨り減る。
 
いちばん困ることは今までの携帯なら写真を撮ったり運んだりのカードは横から差込であったのに、新しいのでは小さなカードをいちいち本体の裏をはずして取り出ださなくてはならないうえにそれをしているうち、電話の機能は止まっている。
 
取り扱い説明書を見ようにも今までのように冊子になって丁寧に説明したものは無くて折りたたみのパンフのようなものが一枚だけである。
 これではと思ってすぐに電話をしたら「一旦契約されたものはお取替えできません2年間はお使い下さい」とのことで、苦労しながら2ヶ月が経ってしまった。
 営業職をしていた私がクーリングオフに気がつかなかったのも馬鹿げているし、いつものくせで何事も相手に合わせてしまって苦労する。
 面倒くさがらずに、最初から、納得のいくものをアタックすべきであった。
 昨日もお隣さんが、仙台に行かれる間に何事かあるといけないからとメモに書いて置いて行かれたナンバーを登録していて、間違えて発信してしまった。
 孫にも「お婆ちゃんデコメールしてきている」と笑われた。
 当分振り回されることになりそうである。

  俳句 息詰まりそうな緑や温泉郷
     育ち過ぎ金魚を池に放ちけり

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1 コメント

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便利さ (やまね)
2010-06-21 05:49:58
 携帯電話を新しくされたようで悦ばしいことです。一億総ケイタイ化のこの時代に、私は未だにケイタイを持っていない希有な人間の一人です。が、街角の公衆電話がだんだん姿を消していき、不便を感じるようになったので、もうここらで買わざるを得ないかなと思っています。
“携帯電話”と言うけれども、この呼び名は不適当だと思います。“ケイタイ”が 電話機能を含む多機能な機械 を意味する新語と考えたほうが良いでしょう。
 パソコンでもケイタイでも機能がありすぎて満足に使いこなしている人はほとんどないと思います。その上あの複雑怪奇な料金体系は客を煙に巻くためのものでしょうか。
 ケイタイは功罪相半ばしていると思いますが、一番の 功 は言うまでもなく軽快な“連絡機能”であり、罪 は“事故や犯罪の引き金になっている”ことです。更に癪に障るのは“カメラを堕落させた”ことです。
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