僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

読書ノート ~ 続き ~

2017年09月27日 | 読書

 
昨日の記事で紹介しました高校生の頃の僕の最初の読書ノートです。
もうボロボロですけど、なんとか原型はとどめています(笑)。


 
ノートを開くと、
この部分は高校2年生の時に書いた文章ですが、
下手な字で、読書感想文をぎっしりと書いています。
右側のページには、ヘッセの「車輪の下」の感想が。
左のページはスタインベックの「怒りの葡萄」です。
いま読み返してみると照れ臭いですね、やっぱり。

 

  ~ 1996年の読書ノート ~

さて、
1966(昭和41)年といえば誕生日が来て17歳。
高校2年生から3年生になった年ですが。 

1月から夏休みが終わる8月までに読んだ主な本のリストを読書ノートから抜き出してみました。この当時が、自分の人生の中で、最も沢山の本を読んだ時期だったと思います。

「狭き門」(ジイド)
「天平の甍」(井上靖)
「人間ぎらい」(モリエール)
「女の一生」(モーパッサン)
「友情」(武者小路実篤)
「リンカン伝」(石井満)
「阿Q正伝」(魯迅)
「暗夜航路」(志賀直哉)
「大地」(パールバック)
「谷間の百合」(バルザック)
「変身」(カフカ)
「父と子」(ツルゲーネフ)
「人生論」(武者小路実篤)
「イソップ寓話」
「ナポレオン伝」(ルードウィッヒ)
「罪と罰」(ドストエフスキー)
「戦争と平和」(トルストイ)
「三四郎」(夏目漱石)
「トニオ・クレーゲル」(マン)
「野菊の墓」(伊藤佐千夫)
「フランクリン自伝」
「復活」(トルストイ)
「阿部一族」(森鴎外)
「高瀬舟」(森鴎外)
「雁」(森鴎外)
「草枕」(夏目漱石)
「ハムレット」(シェークスピア)
「ヴェニスの商人」(シェークスピア)
「嵐が岡」(E・ブロンテ)
「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)
「武器よさらば」(ヘミングウェイ)
「二都物語」(ディッケンズ)
「ジェイン・エア」(C・ブロンテ)
「ジャン・クリストフ」(ロラン)
「八月の光」(フォークナー)
「アンナ・カレーニナ」(トルストイ)
「従姉妹ベッド」(バルザック)
「どん底」(ゴーリキー)
「高慢と偏見」(オースティン)
「凱旋門」(レマルク)
「風と共に去りぬ」(ミッチェル)
「ボヴァリー夫人」(フローベル)
「テス」(ハーディ)
「ミケランジェロの生涯」(ロラン)
「赤と黒」(スタンダール)

などなどです。

手当たり次第に読んでいったという感じもありますが、この当時は河出書房から世界文学全集の「グリーン版」や「カラー版」というのが出版され、世界文学が一種のブームでもあり、すっかり外国の小説にハマっていました。主に19世紀のロシア文学とフランス文学が好きでしたね。日本文学も昔の有名な作品ばかり読み、当時の「流行小説」には全く関心がありませんでした。

うちの父と母は2人で商売をしており、本を読んでいる姿など一度も見たことがありませんでした。逆に家では本ばかり読んでいる僕を、両親は不思議なものでも見るような目で見ていたようです。

ある時「本ばっかり読んでたら体に毒やで。たまにはテレビでも見たら?」と母が心配そうに言ったことがあります。わが子ながら変な子だと思ったのでしょうか。それにしても、読書が「体に毒」とは、うちの母も面白いことを言います。つまり「体に毒書!」と言いたかったのでしょうね~(アホな)。

学校の教室でも、授業中にこっそりと教科書の陰に小説を潜ませて読んだりもしていました。とにかくこうした小説類を、時間を惜しみながら夢中で読み漁ったのが17歳の頃でした。

どの本も、僕にとっては大切な人生の教師でもあり、また反面教師でもありました。中でも「女の一生」「ボヴァリー夫人」「罪と罰」「赤と黒」「父と子」「アンナカレーニナ」「テス」などは今でも深く心の中に刻み込まれています。

運命に弄ばれながらも乗り越えて生きて行く女性と言えば「女の一生」のジャンヌ。不倫の末の悲劇と言えば「ボヴァリー夫人」や「アンナカレーニナ」。男に翻弄され、裏切られ、零落していく薄幸の女性と言えば「テス」。野心家で立身出世主義と言えば「赤と黒」のジュリアン・ソレル。理屈で殺人を犯す人間を見れば「罪と罰の」ラスコーリニコフ。虚無的な生き方を見せつけられると「父と子」のバザーロフらを、今も思い浮かべます。さまざまな人物や出来事とめぐり合う本の世界は、本当に素敵な世界でした。

勤めている時は、仕事を辞めたらもう一度これらの本をゆっくり読み返してみたい、というのが夢だったのですが、実際に退職し、好きなだけ本が読める環境になった今はどうか? 

それがうまくいかないものですね~。ぎっしりと細かく詰まった文字を読むとすぐに目が疲れてくるんですよね。また、読書傾向もすっかり変わってしまい、今は読みやすくて心が軽くなるエッセーなどを楽しんでいます。

まだ老眼鏡をかけずに新聞を読んだりはしていますが、最近どんどん字がボヤけてきています。そろそろ、ちゃんとした老眼鏡を買わなくっちゃ。

目だけではなく、アタマのほうもね。
物忘れがひどくなって、このごろは読んだ本のこともすぐ忘れるので、何か印象に残った部分はメモするか、本に印をつけるかをしなければなりません。

何しろ、あれから50年も経つんですからね~
仕方ないですよね。

と、まあ、昨日・今日と大昔の話を並べてしまいました。
でも、溜まっていたものが吐き出せて、何となくスッキリしました。

冒頭のボロボロノートも、これを機に廃棄します。
いつまでも置いていても、仕方ありませんものね。

最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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