僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

冬季五輪をめぐる思い出 西谷選手

2010年02月19日 | 思い出すこと

世の中はバンクーバーの冬季オリンピック一色であるが、僕は一度だけ、本物の金メダルを、この手で握り締めたことがある。

1998年長野冬季五輪のショートトラック500mで、19歳の西谷岳文(たかふみ)選手が金メダルを獲得したことを覚えておられるだろうか…?

スタートが全てとも言われるショートトラックの500mで、西谷は、「ロケットスタート」と言われる見事な飛び出しを見せ、そのまま逃げ切った。
当時、西谷はほぼ無名の存在で、彼の金メダルは日本中をあっと驚かせた。

西谷選手は大阪の阪南大学の学生で、その大学は松原市内にあった。

当時、松原市役所の広報係で仕事をしていた僕は、テレビで西谷の快挙を見て、がぜん色めき立った。
「なんとしても西谷に取材をしなければ…」
これはぜひ「広報まつばら」に掲載しなければならない。

インタビューを申し入れると、西谷サイドは快く引き受けてくれた。
そして僕は若い職員と2人で、指定された日時に、大阪NHKホールに出向いて、約30分ほど、西谷選手とそのコーチに、いろんな話を聞いた。

その時に、西谷が金メダルを見せてくれた。
「持たせてもらっていいですか…?」と僕が言うと、西谷は、
「どうぞ、どうぞ」とニコニコ笑って言ってくれた。
その時、生まれて初めて、オリンピックの金メダルというものを、じかに見て、この手で触れた。マラソンの完走メダルなら、家にいくつもあるが、これは正真正銘の世界一のアスリートに与えられるメダルである。感激した。

長野五輪後、西谷は不調が続いたようで、あまりその名を聞かなくなった。

しかし、3年後の2001年の2月。
朝日新聞のスポーツ欄を見ると西谷の名が載っていた。
全日本ショートトラック選手権で総合優勝した、と出ていたのだ。
そして「五輪1年前、進化の滑り・西谷」という見出しもついていた。
翌年にソルトレーク冬季五輪を控えていた時期である。

僕は西谷の復活がうれしくて、朝日新聞の「声」の欄に投稿した。

新聞に投稿するのは、これが初めてだった。

数日後、朝日新聞社の編集部から、わが家に電話がかかってきた。

「先日投稿いただいた西谷選手の原稿の件ですが…」
と、新聞社の人が切り出した。
「この文章を採用させていただきたいのですが、読み上げますね」
と、その人は、僕の文章を、電話の向こうで朗読し始めた。
そして、「これで間違いありませんね」と確認したあと、その人は、
「え~っと、文の最後に『頑張ってほしい』と付け加えてもいいですか?」
と尋ねたので、「ええ、もちろん、結構です。ありがとうございます」
と、僕は礼を言った。

それから何日かして、朝日新聞の「声」の欄に僕の投稿した文章が載った。
2001年(平成13年)3月7日の朝刊である。

              ↓

 



翌2002年のソルトレーク五輪では、西谷は期待されながら惨敗した。

やはり、あの長野五輪の滑りが、彼のスケート人生の頂点だったのだろう。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

コメント (2)
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