僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

朝青龍問題 最後に一言

2010年02月06日 | ニュース・時事

昨日や今朝のテレビでは、朝青龍の引退に関して「平成の大横綱」と称え、過去のさまざまな映像を流し、芸能人らにもインタビューしていた。芸能人なんかに感想を聞いても、たいていは「寂しい。人間だから失敗もあるのにね~。残念です」(北島三郎)のような声ばかりで、毒にも薬にもならぬ。

サッカーの日本代表監督の岡田氏などは「聖人君主でなければならないのか」と朝青龍を擁護していた。相撲をサッカーと同じように思っている。そんな頓珍漢なことを言っていて、大丈夫なのか? 今年のW杯の戦いは。いっそ、サッカー好きの朝青龍をゴールキーパーにでも採用すれば?

しかし、「平成の大横綱」というのは、貴乃花の代名詞ではなかったか。
大横綱と呼ぶからには、心技体がそろわなければならない。「心」の部分に致命的な欠陥があった朝青龍を、マスコミは優勝回数だけを取り上げ、勝手に「平成の大横綱」と呼び始めている。それが甘やかしというのである。どうもマスコミは、朝青龍をこっぴどく非難したり、急に持ち上げたりと、実にいい加減で定見がない。出てくるコメンテーターも、変なのが多い。ロクに相撲も見たこともないニューハーフみたいなのが「朝青龍のお相撲が見られなくなるのは残念ですよね~」なんてヌカしておる。引っ込め。
(うぅっ、このブログもだんだん表現に品格を欠いてきておるなぁ)。

僕からみると、石原慎太郎東京都知事のコメントが最も正鵠を射ていた。
「強いからと言って文化を壊す…そんな人間は相撲界から追放して当然だ」

その「文化」で思い出したが朝青龍という四股名の読み方にも疑義がある。

余談めくが…
「青龍」という言葉だが、あれを、なぜ本来の「せいりゅう」と読まず、
「しょうりゅう」とひねくって読むのか? 誰がつけたのか知らないが。

御承知の通り、高松塚古墳の四神とは、東西南北の四方の守り神を指すが、東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武である。

青龍は「せいりゅう」と読むのが正当で、もし四股名に使うのなら、朝青龍(あさせいりゅう)としなければならない。それを「しょうりゅう」と読むようにしたことも、日本文化の軽視・無視、あるいは無神経から来る浅知恵である。確かに「しょうりゅう」という読み方もあるにはあるが、あくまでも正当な読み方は「せいりゅう」だ。これは以前、ある歴史学者も指摘していたところだ。「ことばの伝統を壊している」と。

本人に言わせれば、彼が通っていた高知県の明徳義塾高の近くに「青龍寺」という寺があり、それが「しょうりゅうじ」と読んでいたから、それにちなんだだけ、とのことである。親方がもう少し賢かったらなぁ、とまた思う。

しかしまあ…いずれにしても彼は相撲界から去ることになった。
これでもう、あの、投げられても最後までまわしを離さない危険な相撲も、相手が土俵を割っているのに更に土俵下に突き落としたり、相手が転んでいるのにまだ手をかけようとしたり、ヤクザのような粗暴な態度で相手を睨みつけたりという、不愉快な土俵を見ることがなくなったのでせいせいした。
春場所からは、ゆっくりと、心穏やかに相撲見物が楽しめるというものだ。

相撲ファンとしては、確かに朝青龍は小さな身体で並外れた瞬発力と勝負勘を持って、多彩なワザを出し、面白い相撲が多かった。横綱になるまで、よほど努力をしたのだろう。しかし、横綱になってから、彼の傲慢な態度が目立ってきた。地位が人を作る、というが、朝青龍は逆に、地位がどんどん人間性を低劣にしていった。横綱という地位におぼれてしまった、ということであろう。これまた親方の責任だろうけど、外国人に日本の文化(特に相撲の世界のような独特の文化)を理解させることの難しさが、この朝青龍問題で、改めて浮き彫りにされたといえる。

それにしても、日本人力士のふがいなさには呆れてものも言えない。
こちらのほうも、なんとかならないものか。
それとも、朝青龍がいなくなったことで、みんな伸び伸びと、いい相撲を取れるようになるかも…という一縷の望みは持ちたいけれど。

さて、朝青龍のことを、しつこく書いてきたけど、もうこれを最後にする。
当然、僕と考え方の違う人たちも数多くおられるだろう。
あまり延々と書くと、そういう方たちも気を悪くするに違いない。
もうこのブログを、読んでもらえないかもしれない(笑)

テレビ局に望むが、引退したからといって、あまり朝青龍を美化しないでほしい。そういうことをすると、むしろ朝青龍が残した教訓が消えてしまう。

内館牧子さんがおっしゃったように、「第二の朝青龍を出してはいけない」ためにも、マスコミも相撲協会とともに、今回朝青龍が強制的に引退に追い込まれるまでの経緯を、厳しく受け止めなければならない。

テレビ局も安易な美談番組を垂れ流すことは、慎むべきである。

 

 

 

 

コメント (7)
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