僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 Rainy Days And Mondays

2008年02月05日 | 日常のいろいろなこと

昨日は月曜日からいきなり雨であった。
勤務先まで、自転車で20分少しかかる。
雨の日の自転車通勤は、ホントに気が滅入る。
1週間のスタートになる月曜から雨模様だと、さらにうっとうしい。
カーペンターズも 「 Rainy Days And Mondays 」で、
「雨の日と月曜日はいつも憂うつ」と歌っていたものね~。

合羽を着たらいいのだが、防寒着の上に合羽を着ると、かさばり過ぎるし…。

問題は傘である。

自転車では、いくら傘を差してもズボンや服が濡れる。
強い雨風のときは、傘もほとんど役に立たない。
特に折りたたみの傘なんかは小さすぎて、自転車では用を成さない。
それに僕の自転車はマウンテンバイクである。ハンドルの位置が低く、前傾姿勢でこぐので、傘は持ちにくい。そこで、ハンドルについている丸いチリンチリンベルの横に傘の取っ手部分を乗せて傘を立てると、取っ手を軽く握るだけで傘が直角に立つから手首や腕が疲れない。傘が大きくて重くても、あまり関係はない。

そこで先日「重くてもいいから、思い切り大きな傘がほしいのであるが…」
と妻に頼んだら、妻はそのとおり、大きな傘を買ってきてくれた。

その傘を、昨日の月曜日の雨の出勤時に、初めて使用したのである。

差してみるとたしかにその傘は大きかった。自転車がすっぽり覆われるほどだ。
ベルの横のハンドルに乗せて手を添える形になるから、傘の重量も感じない。
激しい雨の中をその傘を差して勤務先まで走り着き、改めてわが身を点検してみると、上着もズボンもほとんど濡れていなかった。これには感激したなぁ…。

満悦しながら傘を事務所まで持ち運び、廊下の隅に広げて乾かそうとすると…
若い職員がそれを見つけて、
「これはまた、えらい大きな傘ですねェ。…ほんまにそれは、傘ですか?」
と妙なことを聞く。
「これが傘でなかったら、何に見えるねん…?」
「用途が違う…ということはありませんか?」
「なんでや…?」
「たとえば、ビーチで広げるパラソルとか…」
「この傘の取っ手の部分を見てみぃ。普通の傘の柄の形をしているやろ」
「そうですか~?。まあ、やっぱり傘ですか? それにしても大きいなぁ」

この会話を聞いていたほかの職員が集まってきて、やはり口々に
「ものすごい大きい傘ですねェ」と同じことを言う。

「サイズはなんぼですか?」と一人が聞く。
傘の一部に小さな紙の縫込みがあって、「親骨80センチ」と書かれていた。
「親骨」とは、傘のてっぺんから先っぽまでの傘の骨のこと。
すなわち、「親骨80センチ」というのは、傘を広げたときの半径だ。
ひとりがメジャーを出して測ってみたら、ぴったり80センチあった。
お時間のある人はそばにある傘の親骨を測ってみればいいですね。
だいたい大きくても60センチ位らしいです。
だから80センチと言うのは、超大型の傘と言えます。

「ふ~ん。そういえば、ゴルフのときに使う傘は、これくらいあるかな?」
「ウチのお坊さんが、よくこんな大きな傘を差しているよ」
「でも、こんな大きな傘、街の中で差していたら目立ち過ぎですね」
「それに、雑踏でこんなの差していたら、邪魔になるんじゃないの?」
わずか傘ひとつで、朝の就業前の職場はこのように盛り上がるのであった。
みんな、ヒマか…?

「自転車ならいいですけど…街に出てこれ差していたら…」
と、若いモンが僕の身体を上から下まで観察しつつ、
「のんさんの体が、ますます小さく見えますよ」と言う。

まあ、僕は160センチにも満たない小柄な人間である。
こんな大きな傘を差して歩いていたら、傘が歩いているみたい…と言いたいのだ。
…ほっといてんか。

そんな傘の話が一段落してから、ふと僕は通勤時での「異変」を思い出した。

そういえば…
僕が走って来る道は、ほとんどが狭い道である。
車にすれ違うときや追い越されるときは、いつも道幅ぎりぎりである。
そういう状況なのだが、昨日の通勤中、ちょっと不思議なことがあった。
後方から来る車が僕を追い抜かず、徐行運転をしながら付いてくるのだ。
その後ろを見ると、何台もの車が、やはり徐行している。渋滞、と言ってもいい。
なんだ、なんだ。なぜ追い越さない…と僕は不思議に思いながら自転車をこいだ。
しかし、かなり広い道になるまで、後方の車は僕の自転車を追い越さなかった。
そういう現象が、何箇所かで起きた。
そのときは、なんでそうなのか…? 気がつかなかった。

はは~ん。そうだったのか…。

狭い道で、僕が自転車に乗りながら差していた傘があまりに大きかったので、車はそれが邪魔になって僕を追い越せなかったのである。

今になって、車の渋滞の意味が判明した。
犯人は、直径160センチもある、僕の大きな傘だったのである。

傘が大きい、ということと、嵩(かさ)が大きいということと…
何か言語学的につながっているのかどうか…
ご存知の方は、お教え下さい。

はぁ~…。毎日つまらないことばっかり書いて、すみません。



さっき編集画面を見ると、
「02月04日のアクセス数」というのが…

閲覧数  : 216 PV
訪問者数 : 103 IP

とありました。このPVとかIPとかいうのが、イマイチわからないのですが…
「訪問者数」というのが100を超えたのは、たしか2回目です。
一度「朝青龍は八百長をしたのか」というブログを掲載したら、
なんだか200近い「訪問者数」があって驚きました。
あれはきっと、タイトルが訪問者数を増やしたのでしょうね。 
昨日は「節分」という題名がモノを言ったのかもしれません。

いま話題の言葉をタイトルにしたら、「訪問者数」は増えるのでしょうね。
たとえば、「ギョーザ・中国・殺虫剤」なんて単語をタイトルに入れたら…ね。

その点、今日のタイトルはイングリッシュだから…
また、訪問者数はガタッと減るのでしょう。

でも、この「アクセス数」って、毎日見ていると、なかなか面白いです。

 

 

 

 

 

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 節分とカラオケ

2008年02月04日 | モミィの成長日記

        鬼のお面をかぶったパパに 豆をまこうとするモミィですが…

 
  ~ モミィとソラの成長日記 ~


昨日は節分で、日曜日でした。

昼は、天気がよければモミィを連れてどこかへぶらぶら出てみようかと思いましたが、あいにくの雨だったので、考えた末、カラオケにでも連れて行ってみようと、妻とモミィの3人で、駅前にあるジャンボ・カラオケへ行きました。
僕たちがモミィをカラオケに連れて行くのは初めてです。

このごろのカラオケは、歌を歌うだけでなく、食べるものもいろんなメニューもそろっており、チューハイなんかはフリードリンクになっていて、別に歌わずに部屋で食事だけしても、結構楽しく過ごせるようになっています。個室だから、ゆっくりできますしね~。それに、昼間はとても値段が安い。

モミィを連れて行くと、僕もさすがに鳥羽一郎の「兄弟船」なんかを歌っている場合ではありません。「こどもの歌…童謡」を探して、モミィのお気に入りの歌をかけ、僕はチューハイを飲みながら、フライドポテトなどをつまんで、モミィと調子を合わせながらみんなで歌う…って感じでした。
まあ、モミィは画面を真剣に見ていますが、なかなか歌わないですけど…。

モミィのお気に入りの歌は、一例を挙げると…

「アイアイ」
「とけいのうた」
「犬のおまわりさん」
「とんぼのめがね」
「おつかいありさん」
「どんぐりころころ」
「むすんでひらいて」

…というような感じです。
もっとあったようですが、今すぐには思い出せません。
童謡は大人の曲と違って一曲の時間が短く、すぐに終わってしまうので、曲を選んでセットするほうは、かなりせわしいです。

わが家では、これらの童謡のCDを、モミィのいる時はいつもかけています。モミィが曲に合わせて踊っているところなどを見ると、なかなか面白いです。

で…カラオケボックスでは、モミィにマイクを持たせたのですが、最初はマイクに口をつけたりするだけで、恥ずかしいのかなかなか歌わない。
「アイアイ!」と言って、歌わせようとすると、やっと
「あ・い・あ・い」と小さく、マイクに向かって声を出しました。
やっぱり、恥ずかしいんだろうか?
それとも、自分が何をさせられているかわからないのだろうか?


でも、慣れてくると、
「むすんで、ひらいて」の歌の時には、歌いながらソファに仁王立ちして、手をあげたり結んだり開いたりという、いつも家でやる得意の踊りを披露してくれ、そんなことでカラオケはまぁまぁ盛り上がり、30分の時間延長までした次第です。
さあ、帰ろう…と言っても、
「あそぶぅ~。もっと、あそぶぅ~」と言って、ソファにゴロゴロしたり、長靴を脱いだり履いたりして、なかなか部屋を出たがりませんでした。

そのうちカラオケではマイクを握って離さなくなるんやないかな~。こわぁ~。

さて、そんなことで雨の日曜日も、お昼はモミィとカラオケで遊び、夜になったらママやパパが、ソラ君を連れてわが家にやってきて、みんなでご飯を食べました。

なにしろ節分ですから、スーパーへ行っても巻き寿司ばっかり売っています。モミィも、節分にちなんで、ご飯をのり巻きにしてもらったものを、かぶりついていました。

 

    



なお、
冒頭の写真は、「豆まき」の風景です。
でも、モミィはまだ、豆をまくという行為がうまくできません。
じっと、豆の入ったマスを持っているだけです。
しかも、パパがかぶった鬼のお面に、ちょとモミィは引いている感じです。

パパがこのお面をかぶって、ママに抱かれているソラに迫ったら…
ソラは、泣きはしなかったものの、ブルっとふるえて固まってしまいました。

 

 

 

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 中之島倶楽部

2008年02月03日 | 日常のいろいろなこと

同じ事業所に勤める人から、
「ええ店あんのよ。のんさんも来てね」
と誘われた。

この人は2年前の1月、僕を何十年ぶりかのスキーと、生まれて初めての雪中ハイキングに誘ってくれた女性だ。場所は信州の戸隠。滑って転んでと、大変なスキー体験で、あれを口実に「僕のほそ道」を閉鎖してしまったけれども、彼女はあの時、本当は自分が滑りたかっただろうに、大半の時間を僕のスキーのコーチに費やしてくれたので、今でも申し訳なかったな~と思っている。

そのとき彼女は、切符の手配から何から何まで、すべて世話をしてくれ、あとの男ばかりの数人は、ついて行くだけであった。彼女は名前をユミさんというので、僕はそれ以来彼女のことを、ユミ隊長と呼んでいる。

ユミ隊長は独身の身軽さもあってか、信州の山々は隅から隅まで知り尽くすほど歩き回り、去年の秋にはボルネオ島の山なんぞに行ったりしていた。

そのユミ隊長にスキーの特訓を受けた僕は、半年後に軽い脳梗塞になったり、去年は不整脈の手術をしたりと、隊長…じゃない、体調に異変が続いたので、ユミ隊長のスキーや登山へのお誘いはすべて体調を理由にお断りしていた。ユミ隊長はいっしょに登山やスキーをした人たちと「山の会」などを作って飲み会を開いたりして、その会にも僕はお誘いをいただいた。しかし、まだ体力的にも行ける望みのない登山の話を聞くのもつらいし、気が進まず、断ってきた。

けれど毎回断るのも悪いので、最近は何回かに一度、参加するようになった。だから、「ええ店あんのよ。のんさんも来てね」と誘われたときは、最近わりに飲めるようになった僕は、「あいよ」と軽く返事をした。しかし、聞いてみると、今回は僕のゼンゼン知らない人が半分ぐらい来るという。

参加者10人だが、うちの事業所関係が5人。他市の事業所関係が5人。
堺や枚方や吹田に住んでおられる男女の皆さんだそうである。
みんな、ユミ隊長の「人脈」であるという。

1月30日の金曜日。
場所は大阪中之島の中央公会堂の地下にある「中之島倶楽部」というレトロな店。
むろん、僕は初めて行く店である。これもユミ隊長が見つけてきた。
中之島中央公会堂は由緒のある建物で、僕も時々そばを通るのだが、地下にこういうレストランがあるとは知らなかった。

いつも居酒屋ばっかり行っているので、こんなお上品な洋食が出る店は不得手で、テーブルマナーにも、うとい。おまけにメンバー10人のうち半分の5人が初対面。しかも、10人のうち、9人は互いの旧知の間柄だけど、僕一人が新参者であった。
最初にレストランで皆さんに紹介されたとき、吹田の人が僕を見て、
ユミ隊長に「ご主人ですか?」と聞いたので、2人ともあわてた。
たぶん「山の会」に来る人間はごつ~い体格と風貌をしているずだから、これはゼンゼン山とは関係のない、たとえばユミ隊長の旦那なのではないか…なんて思われたのかも知れない。

ところで、このときの参加者の一人である「京さん」という方が、ブログをしておられると聞いたので、アドレスをメモさせてもらった。帰宅した深夜にさっそく閲覧をすると、すでにこの日の話題がアップされていたのでびっくりした。

http://rifumi.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_3216.html


「初谷温泉の思い出」とあり、「去年の秋に信州旅行をしたメンバーでの新年会に参加」という文章から始まって、写真まで載っている。右の列の手前から2番目がユミ隊長で、その隣に座っているのが僕である。

「去年の秋に信州旅行…」とあるけれど、僕だけは行っていないのだ。
初谷温泉というのも、どこにあるのか、知る由もない。

だから、その話題になっても僕にはちっともわからない。

しかし、そんなことにめげる僕ではない。
ビール、という強い味方が僕にはある。これが千人力を発揮する。
僕は自分でも驚くほど(ほんまか?)よくしゃべり、話題をコロコロ変えた。

そんな会話が進む中で、僕は改めて、ユミ隊長と、僕の知らない5人の人たちとの関係を聞いてみたら、意外と古いつき合いだった。

今は廃止されているが、かつて、大阪府下の40いくつの事業所が共同して主催する海外研修という制度があった。
各事業所から1名ずつ派遣され、全部で40何人が集まって、団体でヨーロッパへ研修に行くのである。
ユミ隊長は1995年の秋に、これに参加した。
今日の参加者はその時の研修メンバーとして知り合った人たちだと言う。

「95年と言えばもう13年も前のこと。長い付き合いですねぇ…」
と僕は感心した。
「それにしても、ふ~ん、あの海外研修の仲間でしたか…」
と、僕はだんだん自分の声が大きくなってくるのを抑えながら、
「その前の年にね、僕…その海外研修に参加したのですよ」
と、秘密を明かすようなぞくぞくした気分で、そう言ったら、
「へぇ~、そうですか? じゃぁ、私らの研修の1年先輩なわけですね」
と、みんな口を揃えてにこやかに僕のほうを見た。
よっしゃ、この人たちとの共通の話題を見つけた~という気持ちだった。

僕は1994年に、その海外研修に参加した。
研修後、事業所で、職員たちにその報告をすることになっていた。
大勢の人の前で1時間以上しゃべったことは、これが最初で最後であった。
その「聴衆」の中にユミ隊長もいたそうだ。
僕の話を聞いて、海外未経験だったユミ隊長は、来年はこれに申し込もう…
と決心した…かどうか知らないが、次の年にユミ隊長が研修に参加したことはよく覚えている。
ただし、そのころはそんなに親しいわけではなかった。

そんなことで、しばらくヨーロッパの海外研修の話題に花が咲いた。
調子に乗った僕は、大きな声で「パリの夜のツアー(まぁ、ストリップ観劇だ)」にこっそり行った話なんかをして、場所の品位を落としてしまった。
あ~「ムーランルージュ」の話のところで止めておくべきだったなぁ~。

ちなみに、過去のこの府下事業所海外研修は、毎年何人か応募していたのだが、選ばれるのはその事業所から一人だけである。94年は僕が選ばれ、95年にはユミ隊長が選ばれた。

これって…なんだか自慢しているみたいで恐縮ですけどね。
でも、まぁ
…自慢しているのです。あはは。

 

 


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福士 vs のん マラソン対決!

2008年02月01日 | ランニング

1月27日に行われた大阪国際女子マラソンは、レース前から、福士加代子が初マラソンに挑戦する以外には見どころの少ないレースだな~、と思っていた。それでも前日まではテレビを見るつもりだったが、当日午後に用ができて外出することになり、それからマラソンのことはすっかり忘れていた。

じゃいさんから、福士がフラフラになり、ゴールするまでに何度も倒れた、というメールをもらったので、初めて「あ、女子マラソンがあったんや」と思い出した。

福士加代子。
ご承知のようにトラックにおける日本長距離界のエースである。
今年の6月に大阪長居で行われた日本陸上選手権の女子1万メートルを、僕はスタンドで観戦していたが、あのときの福士は、驚くほどスリムになり、真っ黒に日焼けしていた。7千メートルから独走態勢に入り、その強さを目の前でまざまざと見せ付けられた。

しかし、今回のマラソン出場を決めたのは12月半ばで、練習期間はわずか1ヶ月。
最長30キロしか練習で走っていないという。
30キロ…。ほんまかいな? 信じられな~い距離である。

走り込み時期には、連日40キロ走を繰り返す女子選手も多い。
時には50キロ以上の距離走をして、距離に対する自信をつける。
それが、30キロ走までしかしていないとは…とうてい信じられない話である。
もしそれが本当なら、今回のレースで最大の注目を集めてはいるが、福士に期待をするのは無理である。おそらく行けるところまで行き、スタミナが切れたら途中棄権をするのだろう…という予想を、僕は立てていた。
「福士は完走は無理。あの性格だから、初めは集団をぶっちぎって独走するだろうけど、35キロあたりで抜かれてやる気を失い棄権する…たぶん、そうなる」
と、僕は職場の人たちに「大予言」をした。
(しかし福士はがんばって完走したので、大予言はハズれたが…)

僕みたいな市民ランナーでも、初めてのフルマラソンを走る前は、35キロ走をした。
一度でもそれだけの距離を経験しておけば、間違いなくフルマラソンは完走できる、というのが常識である。むろん、それはあくまでも、僕たちのような素人ランナーのレベルでの話である。

福士のように五輪出場を狙う選手が、30キロ走しか経験せずにレースに出るということは、これはもう、彼女がマラソンを軽く見ているとしか言いようがない。どうせ1万メートルでは北京五輪に行けるのだから、マラソンはダメでもともと…ということなのか? ひょっとして、1万メートルのために、スタミナをつける練習の一環として、このレースに出場したのではないか…と思ったほどである。

案の定、福士は飛ばすだけ飛ばしたが、30キロ過ぎてから、ヨレヨレだった。

その日の夜、そして翌朝のテレビニュースでは、日本人で1位に入った森本はそっちのけで、倒れては走り走っては倒れる福士の映像ばかりを繰り返し流していた。しかし、ラストの彼女の表情を見た限り、作り笑いも出ていたし、さほど苦しそうではなかった。監督は「脱水症状とスタミナ切れ」と説明していたが、練習不足が全てであって、脱水症状…とは思えない。走り込みが足りないから、足だけが動かなくなり、上半身や身体の内部は普通だったんではないかと思う。だからすぐに回復する。84年の真夏のロス五輪で、脱水状態になって朦朧としながらゴールしたアンデルセン選手とは、全く違う症状である。

福士といえば、4年前を思い出す。
アテネ五輪の1万メートルで、大きな期待をかけられながら全くふるわず、先頭から2周も周回遅れとなる大惨敗を喫したあの光景を…。
あのときの福士の、苦しさに歪んだ涙まじりの悲痛な表情を思うと、先日の大阪マラソンでの表情などは実にあっけらかんとしており、アテネの悲壮さからはおよそ程遠いものだった。彼女は、やはりトラックの長距離レースに命を賭けている選手なのだ。

ちなみに、かつて僕が見た女子マラソンの中で最もショッキングだったのは、2003年11月16日の東京女子マラソンの高橋尚子であった。それまで独走状態を続けていた高橋が、30キロを過ぎてから急に失速をして、2時間27分台の平凡な記録で外国人選手に敗れ、アテネ五輪の出場権を逃した痛恨のレースだった。あれには僕も、まさかの衝撃を受けた。原因はスタミナ切れ。専門家の分析によれば、高橋の体内のグリコーゲンが30キロで枯渇した…ということであった。あれだけ練習を重ねていた実力者の高橋にしても、そういう現象が起こるのだ。わずか1ヶ月の練習期間で30キロしか走行距離を経験しなかった福士が、そんな簡単に優勝するようなことでは、元からのマラソン選手は、面目丸つぶれである。

…と、さんざん福士の批判ばかりしているけれど、僕の「大予言」に反して、転んでも転んでも、棄権をせず、ゴールインした姿は立派だった。
あの気力は、さすがといわなければならない。

福士のタイムは2時間40分54秒で、順位は19位だった。

後半、あれだけガタガタだったわりには、そんなに悪い結果ではない。

  ……………………………………………………………………………

ところで…。
話は僕自身のことに関連しますが…

翌日の産経新聞によると、この大阪女子マラソンの完走者は344人でした。
最下位でゴールした選手のタイムは、3時間35分38秒。

ちなみに、僕のフルマラソンの自己最高記録は…
昭和62年3月8日、長居の周回コースで出した、3時間27分54秒です。
38歳のときだったなぁ。(あ~、もう20年以上前の話になるのだ)

この記録を今回の女子マラソンの順位に当てはめてみると…
完走者344人中、339位ということになります。
つまり…ですね、うしろから6番目ってことになります。
僕の「自己最高記録」といっても、所詮こんなものなのです。
福士加代子がゴールしてからも、まだ47分も遅れてゴールするわけだから。

夢の中での福士とのんとのマラソン対決は…
タイムは福士が2時間40分で、僕が3時間27分だし、
順位も福士が19位で、僕が339位だし…。

夢の中のマラソン対決は、やっぱり夢でしたね~。

あんまり福士のことを批判していたら、
「てめえ、文句あるなら2時間40分で走ってみろってんだ!」
と、ご本人から怒鳴られそうである。
そんな記録は、いくら若かりし頃でも、僕には絶対に出せない記録だ。

どうも、失礼しました。

北京では1万メートルで入賞をめざし、がんばってくださ~い。

ついでに…
この結果によって、3月9日の名古屋女子マラソンに出場予定の高橋尚子に、残り一枠の五輪出場権獲得の大きなチャンスが訪れた。

北京への最後の切符をめざし、尚子さんもがんばってくださ~い。



        おまけ


      
    ヨレヨレになってゴールした福士の記録は それでも 2時間40分。

 

       
   これだけ元気そうにゴールしても 僕の記録は 3時間27分。とほほ。 


   * 写真はいずれも大阪長居の競技場です。
     ただし、僕のほうはサブトラック。
     時代もだいぶ違います。 
     ゼッケンをよ~く見れば、
     福士は101番。僕は202番。
     これも何かの縁でしょうか…?
 
     …なんて言っても、福士選手から、
    「そんなの、関係ねぇ!」と言われそうだけど。 
     
         
   

 

 

 

 

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