僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

うめ婆行状記

2016年03月27日 | 読書

今年1月から朝日新聞の夕刊に連載されていた
「うめ婆行状記」という小説が断然面白かった。

しかし、作者の宇江佐(うえざ)真理さんは、昨年11月、
乳がんで亡くなり、この「うめ婆」は遺作だったという。
調べると、宇江佐さんは49年生まれで僕と同じ歳だった。

僕は本を読み出すと一気に読み進めたいタイプだから、
少しずつ読まされる新聞の連載小説は、あまり好きではない。
ただし、過去にひとつだけ例外がある。
10年ほど前に読売新聞夕刊に連載された、
角田光代さんの「八日目の蝉」である。

たまたま第1回を読んでみたら、もう次回が気になる。
次を読むとその次が気になる。もう、気になって気になって…

半年以上にわたって続いたこの小説を、その期間、
連日、夢中になって読んだことを覚えている。

新聞連載小説にハマったのは、その時以来である。

しかもこの「うめ婆」は、紙面の半分を全部使うほどの大スペース。
つまり「短期集中連載」というやつで、1回分の読み応えもあった。


「うめ婆行状記」は江戸時代の話だが、
そのまま
現代に通じる物語でもあった。

主人公のおうめさんは、醤油問屋のお嬢さんとして生まれるが、
奉行所の同心という武家に嫁いで、いろいろ苦労をするけれど、
夫を亡くした後、家から飛び出して気ままな生活を楽しもうとする。

おうめさんは、シャキシャキしたきっぷの良い姉さん肌である。
で、念願の一人暮らしを始めたとたん、甥っ子の隠し子が判明し、
その甥っ子のためにひと肌脱ぐことを決意したり…。

そのほかにも、いろんな人たちとの付き合いや騒動に巻き込まれ、
「せっかく気ままな一人暮らしができたっていうのにねぇ」
と、うめは仲良しの義妹や隣の奥さんや息子の嫁らにこぼす。
それでも人の難儀は放っておけない性分で、身を乗り出す…
…というようなあらすじだ。話が生き生きとしている。

この小説では、登場人物の男たちは皆、ちょっと頼りない。
それにひきかえ、おうめさんやその他の女性は頼りになる。
現実離れした男たちと、現実を直視する女たち…とも言える。
縁の下の力持ち…という古いことわざを思い出させるように、
女の人たちの力が、庶民の人々の暮らしを支えていたことが、
この小説を読んでいると、しっかりと感じ取られるのだった。

また、おうめさんが「私は家長」だと威張る自分の息子や、
小うるさい夫の妹らに、これまでに溜まったうっぷんを、
思いっきりはらす場面などには、胸のすく思いがした。

それらの描かれ方が実に秀逸で、ついつい引き込まれ、
月曜日から金曜日までの夕刊が楽しみで仕方なかった。
(連載は毎週月曜日~金曜日)

ある時、どこを見ても「うめ婆」が載っていなかったので、
「ありゃぁ~」と大騒ぎしたが、考えてみたら土曜日だった。
日曜日は夕刊はないが、土曜日にはそんなことがよくあった。

そして連載が始まって2ヵ月余り経った今月の中旬。
おうめさんが病に倒れ、生死の境をさまよった末、
どうにか一命を取りとめて回復し、
さあ、これからどうなる…

と物語が佳境に入ったとき…

連載は終ってしまった。

「うめ婆行状記」の連載が始まるとき、
「この作品は作者の遺作です」と書かれてあったのを忘れていた。
毎回のタイトルの下にも「宇江佐真理遺作」と書かれているのに。

これで連載は終わり。つまり未完のままで終了である。
あぁ、惜しい。何とかならないのか…。
…って、なるわけ、ありませんわね。
著者が亡くなられているのですから。

亡くなられる直前まで、この小説を書かれていたわけだ。

話の展開から行くと、あと数回分で終るかもしれない…
…そんな雰囲気も感じさせていたのだけれど。

まことに、残念でなりません。

 

 

 

新聞は切り取って残していますけど、
今回、単行本が出たそうなので、それでも買いますか…。

でも、本でもやはり未完のままです。当たり前ですけど。

 

 

 

 

 

 

コメント
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