僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

被災地を歩いた日

2016年03月11日 | 思い出すこと

東日本大震災から今日で5年が経った。

昨日の警視庁の発表では、震災で亡くなられた方が15,894人、
行方不明の方が2,561人、そして今も17万人以上の人たちが、

避難生活を送っておられるという。


これは宮城県仙台市に本社を置く河北新報という新聞社が、
当時出版した「河北新報特別縮刷版」である。
仙台在住の方から送っていただきました。

     

 
 最初のページ。3月11日の震災当日の「号外」が載っている。


 
  翌日、3月12日の同新聞の朝刊。
  この縮刷版は、4月11日までの河北新報の記事が、
  200ページ以上にわたって掲載されている。

 

あれから5年が経った。
この5年間。短かったのだろうか。長かったのだろうか。

 

あの年。

震災から2ヶ月余り経った5月19日に、

僕は一人で、宮城県へ行った。

テレビ報道などで、地元の人々が、
「ぜひこの被災地の現状を見ていただきたい」
と訴えておられたことに、背中を押されたのだった。


以前もこれは書いたことがあるが、
決して忘れてはならないことなので、
改めてその時のことを書こうと思います。


仙台空港の前から歩き始め、名取市内を抜け、
仙台市若林区へ行く道を歩こうと思った。

空港から沿岸部を北東の方角に歩き、名取川を渡り、
そして仙台市の若林区に入って、そこから内陸部の仙台駅方向へ…

そういう予定を立てていた。20~30キロぐらいだろうか。

歩き始めたのは午前9時半ごろだった。
しかし、いきなり方角がわからなくなった。
地図を持っているのだが、どこがどこなのか?

道の両側の光景には、背筋が凍りついた。
見たこともない光景だった。

散らばった瓦礫。壊れた家屋。ひしゃげた車。転がる舟。
そして、茫漠とした荒れ野が視界の全てを占めるような光景。

どんな言葉を尽くしても表現できない光景だった。


震災から2ヶ月以上が経ち、瓦礫はかなり撤去された様子だった。

それでもこれだから、被災した当初は、
想像を絶するものであったに違いない。

僕が歩いている道は、人影はほとんどなかった。

そこへ、ひとり、自衛隊員風の若い男性が立っていた。
僕を見て頭を下げられたので、
「お疲れさまです」と、僕も一礼した。

少し先の道路が十字路になっていたので、
その男性に道を訊いた。

「名取川を渡って仙台市に入りたいのですが」と言ったら、

「この道をまっすぐ行くと海に出てしまいますので、
 あちらのほうへ行かれるといいです」

と、男性は左手を指して、

「○○ (地名らしかったが聞き取れなかった) へ出ますので、
 そこへ行けば、仙台市の若林地区へ入れると思います」

「ありがとうございました」


教えてもらったその道を、また歩き始めた。
相変わらず人影はない。 
どこをどう眺めても、歩いている人はいない。


すると車が1台、後方からやって来て、僕の横で止まった。
車の中には、年配の夫婦らしき男女2人が乗っていた。
助手席の奥様らしき人が、窓を開けて僕に呼びかけた。

「キタガワさんのお寺へはどう行けばいいのですか…?」
と、道を尋ねられたのだ。

「は…? あのぉ、すみませんが…」
僕は、この土地の者ではありませんので、と詫びた。


しばらく行くと、バス停があった。
高柳、という名の停留所だったので、また地図を広げた。
あ、あった。地図に高柳という地名が…。

初めて地図上で、自分の歩いている場所を確認できた。
このまま行けば、閖上大橋というところで名取川を渡れる。
「閖上」 とは難しい文字だけど 「ゆりあげ」 と読む。


すでに12時を回っていた。 
歩き始めてから、3時間近くが経過した。
歩きながら、パンを食べ、水を飲んだ。


やがて閖上 (ゆりあげ) 大橋の手前まで来た。

道路の真ん中に、警官が3人ほど立っていた。
僕がそのまま通り過ぎようとしたら、女性の警官が、
「どちらへ行くのですか?」と、厳しい口調で尋ねた。

閖上大橋を渡って仙台市若林区に入るつもりだと言うと、

「この先は、関係車両以外、行けません」 
と女性警官がきっぱり言った。

それなら…と、左側に行く道があったので、
「じゃあ、そちらの道を行きます」と言うと、
「その先は通行止めです」と、また、きっぱりと言われた。


僕は途方に暮れた。
 
「では、この道を引き返すしかない…ということですか?」
という僕の言葉に、女性警官は、そうです、とうなずいた。

戻るとすれば、最寄の駅はJR名取駅ということになる。

でも、空港方向から歩いて来たので、
名取駅への道がわからない。そう伝えると、

「この道をまっすぐ行けば名取駅です。歩きでは大変でしょうが」 
と女性警官はそう言い残して、元の場所に戻って行った。


僕は仙台空港の前から、道に迷いながら、ここまで歩いてきた。
だから、名取駅の場所はわかっても、そこまでの距離が不明である。

地図を見ると、確かに名取駅への道は一本道でわかりやすかった。
しかし、現在地からはずいぶんと遠い。
 

本来なら名取駅へ行く路線バスが走っている道路である。
バス停があるのだから、間違いない。
しかし、現在そのバスは運行されていない。 
名取駅まで、何の交通手段もないのである。


バス停に、名取駅までの全停留所名が表示されていた。
それを数えてみたら、全部で12あった。
名取駅まで、バス停が12ヵ所もあるのだ。 
バス停からバス停までの距離も長そうだ。
それを12ヵ所通過して行かなければならない。
そうと思うと、急に足が重くなった。

でも仕方ない。

ここまで歩いて来た道を、また戻り始めた。

 

 
  いずれも、その時に撮った写真です(2011年5月19日。名取市)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
   もと来た道を引き返し、ようやく名取駅が近づいてくると、
   コンビニが1件、営業していました。

 

最後に、

「名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ」

をご紹介して、今日の記事を終えます。

 

 

 

 

 

 

コメント
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