めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

経済的に豊かになる為に戦うリーダー

2017-09-06 13:34:50 | 戦争

消費経済社会と言うのは、先進国の多くが目指していて、
私達がより豊かな生活を送る上で誰もが納得するものです。
より多くの所得を得て、更なる消費を増やしていく事に依り
世の中が急速に進歩し、人々は、より文化的な生活を
送ることが出来るのです。

その為、近代国家を目指す多くの国が、この消費経済社会を
目指すのですが、人々の生活がより豊かになる一方、
この経済政策に付いて行ける人と付いて行けない人が
次第にその格差を広げて行く事が問題です。

日本に於いても、戦後の高度成長期は、多くの国民が
次第に増える国民所得に歓喜し、バブルに至っては、
国中が消費経済の喜びに浸ったものでした。
しかしながら、バブル崩壊後、殆どの国民は、落ち込む経済に
苦しい生活を強いられる事と成ったのです。

しかしながら、この、景気の大きな変動にも関わらず、
一部の企業や富裕層は、常に、自分達の地位を確保していて
着実に日本のリーダーシップを取り続けて来たのです。
と言うよりも、彼らにとって、この消費経済社会は、
彼ら自体が創り上げて来たものであり、バブルの崩壊で
生活基盤を失ったり職を失ったりする人たちは、もともと
大きな利益を得ていたと言う訳ではなく、高度成長期から
普通の生活をしていたと言えるのです。

余りにも戦後何もない所からスタートしたため、あたかも
自分達が富裕層に成ったかのような錯覚を起こしたに過ぎません。
実際に、消費経済社会で利益を得ていたのは、日本政府と共に
戦後の経済社会を作り上げた人たちなのです。
その人たちが、不景気と成って鮮明に浮き彫りにされて来たのが
今の日本社会と言えるのです。

社会が富裕層と日本人の殆どの景気に影響を受けている人々に
分けられると言うも、日本社会をリードしてきた人たちは、
明治のころから、経済社会で巨万の富を得るために、
国内産業を発達させ、大陸に進出する様に仕向けたりと、
庶民の生活がどうなろうと、自分達の社会的地位を確保する為に
歴史を作って来たと言えるのです。

戦争に踏み切った時も、不況と言われる現代社会も、苦しむのは
一般庶民であり、全ての現象は、様々な利益を目論んだ方々の
戦略の結果と言えるのです。
日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦と、庶民は誰も戦いたいとは
思っていなかったのです。
ただ、戦う為の洗脳を受けただけの事であり、出兵して戦死したり
怪我をしたりするのは、一般人に限られるのです。

現在の極東における一発触発の状態を愁いているのは、庶民たちであり
多くの犠牲を払おうと、リーダー達は、基本的に自分の利益を考え
自分の安全を考えています。
その欲望をあらわにしているのがアメリカ大統領なのですが、
戦う事のリスク以前に、戦いに依る利益がどれ程有るかを
常に考えていて、大統領である以前に商人の本性が見てとれるのです。

軍隊も将棋の駒に過ぎず、戦う人たちの気持ちや戦火に晒される
国民の事は二の次と成っているのです。
戦争による犠牲以上に、それから得られる経済的利益を考えるのが
今のリーダー達の考えと言えるのです。

戦争は、いつの時代も、如何に経済的利益を得られるかの駆け引きです。
軍事力の強化は、単に敵を打ちのめす為ではなく、その後の世界の
経済的イニシアティブをどれだけ取れるかを決めるものであり
北朝鮮が核ミサイルに拘るのも、その威力は、単に多くの人を殺戮する
と言うだけでなく、その恐怖を持って、自分達の、世界に於ける
存在感と発言権を高めるために他ならないのです。

逆に言うと、如何に、国民の生活が貧窮していて、国家経済が
破綻しているかを表しているとも言えるのです。
既に、国民を幸せにする力は無く、経済的に国民を豊かにするには
力をもってしてでも、世界から援助を強要するしかないのです。

恐怖政治を持って国民を押さえつけようと、国民の生活は惨憺たるもので
戦争により更なる被害を被るとなると、どれ程悲惨な生活を送らざるを
得ないか、究極の豊かな生活を送っているリーダー達は全く考えすら
しないのです。

生活レベルは違えど、アメリカ国民としても同じであり、戦争が始まれば
いつミサイルがアメリカ本土に飛んで来るかもしれないと言う恐怖と、
またもや多くのアメリカ兵に犠牲者が生れると言う不安が募るのです。
戦争を喜ぶのは、軍事関連産業の人達と、一部の支持者たちに過ぎず、
どちらの国民も、大きなリスクを背負わされることと成るのです。

かつて、日本が高度成長の波に乗ったのも、朝鮮戦争が有ったからであり
私達の国が急速に復興できたのも、戦争のお陰である事は否めません。
アメリカに於いても、本国で戦うことなく、世界中の戦地に首を突っ込み
膨大なる兵器を売り、様々な資本を投下する事で、世界一の国と成ったのです。

戦争は、国を復興させ国力を増すには、一番の利益が得られる方法であり
人間の歴史は、侵略、略奪によって作られて来たと言っても良いのです。
しかしながら、今や、簡単に戦争を起こせない程、リスクが大きくなって
核兵器の開発が、世界の力関係を変えてしまう程になっているのです。

どんなに頑張っても、経済的に豊かになれない国が、戦争のメリットである
膨大なる利益を得る方法として、核兵器を切り札としてきたのです。
単に、圧倒的な軍事力が有ったにせよ、核爆弾の威力は、国の経済を破壊し
国の機能を失わせてしまう程の威力なのです。

例え、最終的に勝利を収めたとしても、核ミサイルが撃ちこまれれば、
甚大なる被害を被るのです。
その威力と影響力の大きさに、これまで、大国は大量の核兵器を保持していても
戦争に踏み切る事無く、かつてのアメリカとソ連の様に、相互のバランスを
執る事に依って、そのリスクを避けて来たのです。

しかし、今回は、その核兵器を使う可能性を示す事に依って、アメリカとしても
思い通りの戦略を組むことが出来ないのです。
在日在韓のアメリカ兵の犠牲だけでなく、両国の一般人の被害の可能性も高く
戦争が起これば、未曾有の被害となる事が想定されるのです。

人は、より豊かな生活をする為に、より経済的な社会を築いてきました。
しかし、他人よりもより上の生活を目指す事に依り、争いが生れました。
太古の昔は、直接的略奪に依る、テリトリー拡大が多かったのですが、
近代社会となると、お互いに利益を損わない様、外交的方法によって、
欲しいものを手に入れる方法が主体と成りました。

しかし、より豊かな生活を求めようとすると、太古の昔から遺伝子に刻まれた
略奪侵略の本能が目覚めるのです。
有史以来絶えることなく世界中で繰り返される戦争は、そのどれもが、
人類の創成期である、原始社会の方法と何だ変わらないのです。

人は、何の利益も無く、戦う事は有りません。
例え、暴走する二頭のオオカミであっても、本音は、戦う事で、より多くの
利益を得る事を考えているに他ならないのです。
しかし、今回の戦いで、日本は、何の利益も無いのです。
失うものは有っても、得られる物は何もないのです。
両国の間に在って、彼らの目論見の犠牲になる事しかないのです。

日本にとって、アメリカと共に戦う事は、国民にとって、何の利益も無く、
如何に戦いを避けるかが、最大の懸案と言えるのです。
もし、戦争と成れば、多くの日本人が犠牲となるでしょう。
しかし、もっと大きな問題は、これまで戦争放棄をして、平和を目指していた
日本人の心に、憎しみの炎が生まれる事です。

多くの同胞を失い、国土を傷つけられた事に、日本人の憎しみの炎が
どれ程大きくなってしまうか、この戦争を切っ掛けに、更なる悲惨な
戦いが極東で始まる可能性が高いのです。
人を憎みながらの人生は、人間の心を育てません。
日本人の、繊細で人気持ちを思いやる素晴らしい心が失われたら、
私達の国は、世界中から蔑まされる惨めな国へと堕ちて行く事と成るのです。

今や世界中の国々から多くの観光客が訪れ、美しい日本の国土と美しい
日本人の心に感動しています。
人種を超えて、あらゆる人達を受け入れる優しい心は、憎しみを持たない事で
育って来たと言えるのです。
この大切な日本を失わない為に、一部の方々の我欲に任せた、危険な道に
飛び込まない様に、しっかりと監視していく事が大切と思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 


 



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