めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

本当の幸せって、何!?

2016-06-07 13:28:00 | 日本

日本人の総資産の半分を、上位企業の40人ほどが所有すると言う
ショッキングな記事が週刊誌に乗せられていますが、実際はその他の
上位企業の方々の総資産を合わせると、半分以上はるかな資産を
ほんの一部の方々が所有しているのが実情です。

彼らにとって、それ相応の努力をして得た結果であり、正当な収益と
胸を張って反論するのでしょうが、この状況が、日本社会にとって
相応しいとは思われません。
何故なら、その収益の多くが、多くの国民から吸い上げたものであり
その結果は、大多数の国民の幸せには繋がっていないのです。

等価交換により、様々な物品を購買する事により、国民の生活は
豊かに便利になったから良いのではと言うのは、一方的な考えで
便利な生活豊かな生活をする為に、極めて過酷な労働時間が有ったり
人としての安心したゆとりのある生活を諦めなければならない人も
数多く居るのです。

しかし、より経済的に豊かに成り、様々な高価な道具を買い揃える事、
大型消費をする事が目的である事が幸せでありステータスであると
思わせるネットやメディアを通じた洗脳が、この一部の人々のみの
高額所得の現実を生んでいるとも言えるのです。

小さい頃からの教育に於いても、いかに豊かな生活レベルを持てるかが
人々の心の中心と成り、学校教育も、受験勉強も、この一部の方々の
豊かな生活が目的の成っているとも言えるのです。
本来は、学校教育は様々な知識を得る事に因る情操教育であり
人間として立派な大人になることが目的であったはずです。

ところが、能力が点数により評価されるに至り、与えられた多くの知識を
いかに保有して、要求された回答を的確にこたえられることが
人物評価を上回っている事が問題です。
更には、その評価で決められた学校、会社が社会的な基準と成ることで
おのずと、そこに人と金が集まるようになっているのです。

何時から、このように人物評価が付加価値評価と入れ替わってしまったのでしょう。
考えられるのは、明治以降、急激に日本に浸透してきた資本主義社会からの
経済主体国家の考え方です。
人々を幸せにするのは豊かな経済力であり、強大な資本であると言う、
欧米的な考えが日本社会を席巻してしまった事に有ります。

つまり、資産が有り、経済力が有ることが人間のステータスと成り、
そのために、社会構造が、人間を中心とした考えから、物を中心とした
それまで人々の生活を助け守るための道具やお金が私達の中心と成り、
日本人の心がゆがめられて来たのです。

もちろん、明治以前の日本社会にも士農工商を主体とした格差が有りました。
しかし、どの階層にも、人との繋がりと大自然との繋がりが有り、
所得の差は有っても、それぞれの階層が、自分の置かれた環境で
大自然の富を共有し、日本人らしい思いやりのある幸せな生活をしていました。

しかし、現代の状況は全く異なっています。
日本の富は、全て上層に流れる仕組みが採られていて、私達の生活は
一部の豊かな人々をより豊かにするように変えられています。
日常生活のほとんどが、生活して行くだけで、一部の人を豊かにするように
作られていて、殆どの国民は、自分の資産を、彼らの為に投じる様に
生きて行くしかない状況と成っています。

ただでさえ少ない所得に苦しむ人々が、その中から、この世の中のシステムに
合わせて行かなければならない苦しみは、多くの日本人の心に
言いようのない空しさと悲しみを与えています。
働けど働けど楽にならず、じっと手を見る、という宮沢賢治の文面にもありますが、
今の多くの日本人は、いつまで経っても楽にならない生活に疲れ果てています。

日本は、戦争に負けてから、軍に支配されない、国民一人一人が平等に生きる事を
選択しました。
何もかも失って、誰もが一からスタートでしたが、持ち前の勤勉さと努力によって
あっと言う間に世界のトップクラスの先進国へと伸びりつめました。
しかし、経済的に豊かになり、日常生活も様々な便利な機器に囲まれようと、
日本人の心は満足できず、更なる豊かさを求め、マネーロンダリングに心を注ぎ
その結果、バブル崩壊と言う戒めを受ける事と成りました、

ところが、その傷をまたもや経済的に癒そうとしたことに、この不幸な日本を生んだ
大きな原因があったのです。
経済的に豊かに成れば、また、豊かな日本に戻れると思ったバブルの輩たちが
辿り着いたのが、今の両極端に分かれた日本経済の状態なのです。

経済力を礎とした方々は、その膨大なる収入の使い方すら解かりません。
より強大にすれば、更にしあわっせになると言う錯覚に溺れて、ついには多くの
国民を不幸に陥れている事が解っていません。
更に、それに操られている国のリーダーたちは、単に政治人形にさせられている
憐れな国民の一人に過ぎません。

しかしながら、どちらの階層にいようと、私達日本人は、これから幸せには成れません。
何故なら、どちらも、経済力を自分たちの幸せのカギとして生きているからです。
人と人の繋がりは増々薄く、単に、社会のシステムで動かされる人生に、誰が
幸せをかんじるでしょう。
隣で苦しんでいる人を見ても、何とも思わない、自分の懐ばかりを気にする民族に
豊かな未来と幸せは有りません。

私達の本当の目的は、物やお金や資産で測るものではない事は、日本人は
太古の昔から学んで来たはずです。
たかが、100年程の、西洋からの資本主義で私達の心が変わるはずは有りません。
一日の生活がやっとの国民も、何もしないで毎年何億ものお金が舞い込む方々も
日本人としての心の根っこは同じなのです。

私達日本人が、本当に未来永劫、豊かで幸せな生活を取り戻すには、
もう一度原点に立ち戻り、人として、人の中で、自然の中で生きて行くにはどうあるべきか
全ての国民が考える時期が来ていると思われます。

 



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