めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

対人センスに欠ける人々

2014-10-09 13:03:11 | 社会

20世紀末期から世界中に広がり始めたコンピューターは
あっという間に世界中に広がり、今では、ネットとを利用しないで
生活するのは不可能と言えます。

世界中の情報を誰でも瞬時に手に入れる事が出来、居ながらにして

欲しいものが自分の物になる世界となりました。
その為、生活が便利になっただけでなく、人々の関わり合いも
随分変わってしまいました。

新聞、テレビ、電話と言ったメディアも、ネットの情報を元に構成され

単に物事を伝えると言うだけでなく、全てのものを一括して見る事が
可能な世界となったのです。

その変化が著しいのが、携帯電話の世界です。

個人的な情報を伝えるのみであった電話が、いつの間にかにグローバルな
世界の情報と繋がるようになったのです。

特に、新しい変化に敏感な若い世代は、あっという間にその世界の虜となり、

今や、スマホ等の電子機器の無い世界は、若い世代にとっては考えられない
自分たちの生活の中心を成すまでに至ったのです。

とは言うものの、便利になって、生活がよりスピーディになったのは良いのですが

様々な深刻な問題が生まれているのも事実です。
最近気になるのが、昔からあった若い人と高齢者との意思の疎通の難しさと言う
問題が、もっと深刻化して、個人同士の意思の疎通の難しさへと発展して
この事が、全ての世代に、上下関わらず広まっている事です。

よく考えてみると不思議なもので、あらゆる情報が手に入り、誰とでも一瞬に

会話やメールが出来る世の中になったのに、全く反対の問題が浮き上がり
学校においても、職場においても、更には、家庭内においても、その傾向は
顕著になりつつあります。

先ず、若い人達の間での問題は、頻繁な情報のやり取りからくる相互監視です。

沢山のメル友や遊び友達が出来てくると、そのグループの中の自分の位置が
常に頭に在り、いかに嫌われないか、メールやスマホのやり取りに気を配ります。

仲がいいときは良いのですが、一度嫌われると、自分の知られたくない情報が

ネット上に公開されたり、身に覚えない行為が、まるで週刊誌のデマ情報の様に
流されたりして、それまで沢山の楽しい友達が、一瞬にして敵となってしまうのです。

目の前にいる人には事情が説明できても、会った事も無い人々には不可能です。

このもしもに怯えるのが今の若者たちの心の奥に流れる暗い部分なのです。
更には、社会人や、一般の方々の間にも、離職や家庭崩壊に繋がるネット悪が
はびこり始めているのも気になります。

自分だけの個人情報が簡単に世の中に流れ、いわれの無い事実無根の犯罪や

個人バッシングに巻き込まれる人も少なくありません。
これ等のネットによる弊害は、それを利用した心良くない人たちの行為が問題ですが、
表向きの生活においてもその余波は忍び寄って来ています。

最近の若い人達同士の言葉のやり取りに、その傾向は見られます。

かなり親しい間柄であっても、やたらと丁寧であったり、自分よりも年下であろうと、
年上であろうと、同じ口調で喋る人が多いのです。

まるで、一定の台詞が在るかのように、淡々と語るその口調を聴いていると、

何処かで聞いたような、そう、面接官の前で語る口調そのものです。
嫌われたくない人の前ではこのように話せと言わんがばかりに、慇懃無礼で
何の暖かい感情を感じられません。

この違和感はかなり以前から感じていましたが、最初は、素直で真面目で

礼儀正しい若者が増えてきたと思っていましたが、そのパターンが
多くの若者にあてはまってくると、心の中が見え見えで素直に喜べません。

テレビに出てくる大人顔負けの子役が、大人以上にしっかりと喋るのを見て

最初は感心したものですが、今では、その台詞は何処で覚えたの?と
尋ねたくなる程、その本心が疑わしくなります。

昔の子供は言葉がはっきりせず、意思の伝達が悪かった事が多かったのですが、

これを能力不足と考え、沢山の知識を与え、的確な言葉が発せられる様に
日本の子供達は教育されてきました。

今では、何処の小学校に行っても、はきはきと自分の意見を言える子供が増えました。

しかし、この子供たちの変化を進歩と見ていいのでしょうか。
かつて子供達は、言葉のボキャブラリーが少なく、表現の手段が訓練されず
突然インタビューされると、何を言っていいか解からなかったのです。

しかし、彼らの頭の中には、何もなかったと言うのではなく、今の子供に

負けず劣らず、ひょっとしたら、もっと豊かな感情があったのです。
人に対した時、その相手の情報を無限に感じ、周囲の情報も感じ取り、
自分以外のあらゆるものに気を使っていた結果、その場で一番良い
受け答えに戸惑っていたにすぎないのです。

世の中が進んで、ネットなどの情報が入ってくると、人々は、その中から

自分にとって一番有益な情報を手に入れます。
例えば、面接したときはどの様な態度でどう答えればいいかと言うハウツウを
ゲットします。つまり、面接官に嫌われない方法を手に入れる訳です。
面接官も自分が欲する回答を得られるのを期待して、その両者のパターンが
ネット上で常識となり流れるのです。

その一番顕著なのが、今多くの番組で重宝される子役たちです。

彼らは、大人たちが作りあげたノウハウを完璧に使い、私達を楽しませるのです。
しかし、その立派な台詞は、決して彼らや彼女たちの本心ではないのです。

日本の社会は急速にネット化が進み、誰もが、自分に有利な情報を手に入れ

自分が嫌われない存在になる事を望み始めました。
誰もが良い子いい大人であることを演じ、本当の心の奥は暗く隠されたままなのです。

たとえどんなにネット社会が進化しても、心の奥までは変えられません。

目の前に居る相手に対し、様々な情報を得るのは自分のセンスです。
その流動性のある生き物の様に常に変わっていく情報に対処する事が
人として一番大切な思いやりを作って行きます。

どんなに詳しい正しい情報も、あくまで参考であって、そのものを使っていると

いつの間にか自分が無くなって、魅力のない人間になってしまいます。

人の命は地球より重いといわれます。

命の大切さは当たり前ですが、その心から生まれるあらゆる情報は
ネットから得られるあらゆる情報よりも勝っているのです。
その中から自分と相手にとって一番良い情報を感じ取ることが
一番大切と思われます。

五感を使って、あらゆることを感じ取るセンスを育てる事が、

ネット社会で翻弄されない大切な生き方と思えます。



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