子供達が幼い頃から、東京近辺の山に登り、
少し大きくなると、アルプスや八ヶ岳に出かけて
家族全員で大自然を満喫したものでした。
最近では子供達も社会人となり、一緒に出掛けることは
殆ど有りません。
山は何度同じところに行っても、同じ風景で迎えてくれて
大自然の素晴らしさに感動したものです。
しかし、時に、山は、私達の想像を絶する姿に豹変します。
私達人間のサイクルとは異なった、地球規模の長大な時間で
その歴史を刻みます。
そんな場に遭遇したとき、私達人間の力は無に等しいものです。
動かざること山の如し、と言われますが、その山が動いた時、
その絶大なる力、恐ろしさは想像を絶するものでしょう。
私の家族も、毎年長年に渡って北アルプス、南アルプス
八ヶ岳と登ってきました。
しかし、御嶽山と乗鞍岳は名山とはいえ、いつもリストから外し
いつの日か登れれば良いと位思っていました。
何故かと言うと、どちらも3000mを超える名峰ですが、
車で途中まで行ける事も有り、ふもとから力を合わせて登ると言う
我が家の方針で登る山ではなかったからです。
この、誰でも登れる、途中まで車やバスで行けると言うのが
毎年の登山リストから外された理由でもありました。
でも、この、高山でありながら誰でも登れる山が動いたのです。
以前にも噴火した歴史があるものの、何年も静かで、噴火の
兆候すらなければ、安心して登山を楽しめると誰もが
信じて疑わなかったでしょう。
火山の噴火のサイクルは、たとえ何年休んでいても、
人の歴史に例えれば、以前の噴火が昨日の出来事と言っても
過言でない程と言われます。
電子機器の発達により、東日本大震災の時と同じく、
沢山の記録がニュースで流されています。
当事者ならずとも、その恐ろしさは画面から伝わって来ます。
災害列島日本と言うフレイズが当たり前になってきた昨今、
誰もが次の犠牲者となるか解からない時代となってきました。
今回恐ろしい目に遇った方々の中にも、数週間前広島であった
多くの人を飲みこんだ地滑りに驚き、心を傷めた方もいたのでは
ないでしょうか。
今や日本丸は、嵐の大海に乗り出したかのように、様々な試練が
襲いかかり、木の葉の様に大波に翻弄されています。
しかし、一体どこに向かっているのか、船長の指示も二転三転し
国民は未来の日本に夢を持つことすらできなくなっています。
いつまでも穏やかだった昔の航海を夢見ていないで、
たとえ荒れた海であろうと、国民をしっかりと守り、新しい未来に
導いてくれるリーダーが欲しいものです。