めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

NSNと察しの文化

2014-09-09 14:59:58 | 日本人

私達日本人は、昔から人を察すると言う事によって、周囲の人との
トラブルを避けたり、スムーズな人間関係を築いてきました。
その国民性が、時に意思がはっきりしない、曖昧でミステリアスな
イメージを海外の人達に抱かせていました。

しかしながら、そんな奥ゆかしい日本人も近年随分変わりました。

自分の意見をしっかりと主張できる子供たちが増え、世の中も
アメリカナイズされ、いかに自分をアピールできるかという事が
求められる様になってきました。

また、ここ数十年の間に、急速なネット社会の到来が、日本人の

心すら変えつつあります。
特に、生まれた時からコンピューターが存在した世代は、
自分たちの生活がSNSを中心に動いています。

朝、目が覚めた時から眠る時まで、多くの人々がSNSに支配され、

日常生活や周囲の人々との人間関係は二の次となっているのが
現状となってしまいました。

人と人との関係や、社会の情勢に反応して生きてきた世代にとって

彼らの態度は、時にいい加減で解り辛く感じる事が有ります。
人の気持ちを第一に生活してきた人間にとって、目の前に居ながら
頭の中は常にネットの情報に傾き、周囲への反応は二の次になる
彼らの姿は、自分以外の世界を受け入れない様に思えてしまい
腹立たしくなる事も多いです。

でも、彼らにしてみればそんな気持ちは全く思っても見ない様で、

周囲の事はそれなりに気にしてはいるのです。
しかし、その態度は、家族や友人の間であっても、まるで、
公共機関に乗っている時の他人を見る様で、私たちにとっては
まるで、シカトされているかのように感じるものです。

今のNSNを中心に生きている世代は、自分の興味ある事に対しては

膨大な知識や関心を持っているのに、他の事に関しては、それが
たとえ、家族であっても全くの無関心となっている様です。

しかも、目の前の人に喋る事よりも、ネットで伝えるほうが得意とみられ

対人的に相手を察する事が増々苦手となっている人も多いです。
確かにネットは便利で、世界のあらゆる情報が手に入ります。
自分の必要な情報は、ほとんど、人を介せずに手に入れる事もできます。

しかし、人は情報とは生きてはいけません。人と生きていくのです。

どんなに豊富な知識も情報も、人との関わり合いを豊かにするための
手段に過ぎません。
NSNを利用する事により、家族や友達、更には会社関係の人々と
スムーズな人間関係が築けてこそ役に立つアイテムと言えます。

自分の一時的な満足を満たすために沢山の時間を費やし、

多くの人間関係を失ってしまう事は、私達日本人の素晴らしい文化、
察しの文化を失う事になってしまいます。

人の心は、たとえ同じ人でも、その日によって、時間によって、

周囲の環境によって、次々と変わって行きます。
その猫の目の様に変わる人の心は、いかに対処したらいいかという
ノウハウは有りませんし、膨大なネットからの情報でも解りません。
その都度、五感をすべて使い感じるものです。

私達日本人は太古の昔からそうやって美しい日本文化を築いて来ました。

たとえNSNを利用するにしても、コンピューターであらゆる情報を
収集するにしても、そのことが、豊かな人間関係に繋がらなければ
逆に私達日本人の素晴らしい文化の退行と言えるのではないでしょうか。