羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

小耳に挟んだ話

2012年09月19日 09時15分05秒 | Weblog
 ある会社が銀行から融資を受けるために、二カ所の工場を抵当に入れることにした。
 いざ、話し合いになって、一つは小田原、もう一つは箱根にあることを告げると、そこでは融資はできないと断られたそうだ。
 理由は簡単。小田原は津波、箱根は富士山の爆発。つまり災害リスクが高い場所では抵当物件として価値が低いというわけだ。
 この話はありそうな作り話だ。しかし、こうした話が巷で交わされるところに、不安感は増長される。
 
 いったい、日本地図上にわかっている活断層を描き、さらに未知の活断層を想像し、あるいは豪雨による浸水や山崩れを予想したら、災害リスクゼロの場所を見つけ出すことなど出来ない相談だ。
 ならば、いっそ、外国の安全な地域に工場を移すしかない。
 さらに災害リスクが低いことに加えて、国情が安定しテロや暴動のリスクのない地域を探せということになる。
 力のある会社が、どんどん国内から出て行ったら、日本に生きる根底から崩れる。
 もっと言えば、日本人は、流浪の民となってしまうではないか!

 私たちはこれまで、この日本列島の上で、災害とともに生きてきた。日本の歴史、文化、文明を築いてきた。
 子どもの頃は「日本は地震国だから、高い建物はつくれない」が、常識だった。
 それが私が生まれ育った西新宿は、高層ビル街に生まれ変わって久しい。あのビル群が廃材となったら、どこに廃棄物処理を頼むのだろう。引き取り手はないに違いない。
 それどころか使用済み核廃棄物はもっと厄介な問題をはらんでいる。
 そうした状況のなかで、大学の休み時間に注意を促すアナウンスをしているにも関わらずカルトに嵌まっていく純粋な若者の気持ちもわからなくはない、ところに問題の根深さと困難がある。
 
 日本人が経験したことのない状況があって、過去の歴史から学べるものはないかもしれない。しかし、皆無ではないはず。ここは静かに端座して、人類の知恵を採掘し、将来を描くしかない。そして一つ一つ変えていくしかないだろう、と思う。

 こうして、私たちが造り上げた文明が、いかなるものであったのかが、白日の下に晒された。
 9・11と3・11は、文明の十字路(空間・時間)の分岐点となったメモリアルなのだ。
 畏れは大事だが、極端に怖れているばかりでは、現在と近い将来の暮らしは成り立たない。
 日本は少子化といえども今日も赤ちゃんは誕生している。その子どもが成人式を迎える時、残しておく社会の有り様のなかで、何がいちばん大切なのか。そのくらいのスパンで考えるくらいの時間感覚は与えられているし、運を天に任せて出来る事からはじめるしかない、と思う。

 まことしやかに囁かれた“小耳に挟んだ話”から、取り留めなく思いつくままに書いてみないことには落ち着かない今日この頃の私です。
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