羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

腹筋を鍛える

2011年11月14日 14時30分04秒 | Weblog
 このところブログ更新がお留守になっていた。
 たとえば「オリンパス粉飾事件」の記事を読むと、かつてのライブドアは何だったのか、と思わずにいられなかった。「駐車違反で死刑判決が下ったようだ」と表現したジャーナリストがいたが、ライブドアとは比較にならないオリンパスだ。他にも大なり小なり巧妙に隠し通しているところもありそうだ。品行方正、清廉潔白、すべてをオープンにしてやっている企業は、どのくらいあるのだろうか。外国人に告発された、というのも皮肉なことで、日本人同士は同じ穴の狢ということになってしまう。日本のことわざに「水清くして魚棲まず」というのもありましたっけね!
 
 さて、膝を正して、野口体操の収穫を報告。
 従来からの方法で行う「腹筋運動」は、他の人に足を押えてもらうことが多い。力が入っていると足が上がってしまうから、ということを避けることが出来る。実際には、足を押さえ込んでもらって、あるところで自分では足の力を抜くことをする。すると一瞬にして楽になり、回数を重ねることが可能になる。逆に押さえ込んでもらいながら、足の力を抜かずに行うと腹筋の力が必要となる。
 そこで野口体操の「おへそのまたたき」と比較してみる。仰向け姿勢で足を伸ばした状態で起きてくる場合、足の力が抜けないと起き上がることは出来ない。そこで一瞬間、腹筋に力を入れてもすぐに足と腰の力・胸と頚の力を抜くと、足腰の重さの方が重いことと、少し高い位置にある上体は重さで低い位置に流れ込むことで、結果として上体を起こすことができる。
 で、その原理を従来からの「腹筋運動」でも行ってみると、何のことはない楽に回数を重ねることができるのだ。
 
 今日のクラスは演劇専攻の学生が多い。そこで力ずくの腹筋運動、足を伸ばしたまま腹筋の力で上体を起こす途中で、或る表現をもとめてみた。まったく難しい。ところが「おへそのまたたき」で、上体を起こして来る腹筋運動では、途中で切り替えてさまざまな動きと感情表現が可能であることを、学生たちに実体験してもらった。
 つまり余分な力が抜けている方が、動きにも表現にも可能性が豊かであることの証明だ。

 野口体操の「おへそのまたたき」、従来からの二人組で行う「腹筋運動」、いずれも骨盤と床との角度が90度まで変化しなくとも、床から骨盤が浮き上がって角度がつけば、その瞬間に力が抜けると体育で行う腹筋運動も楽にできるということを実際に体験してもらった。
 本当に腹筋を鍛える場合には、それなりの動作認知が必要となる。

 回数を重ねることの意味が浮き彫りになった。そのことでつかめる質的な変化もある、ということだ。
 今週の土曜日には、或る表現を伴った「腹筋運動」と「おへそのまたたき」を試してみたい。これがとても楽しいのです!
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