愛煙家が駆け込みで煙草の大量購入に走るニュースが連日報じられている。
一気に2千個購入予約をしている人の話も聞かれる。
思い起こせば私の子供のころは、家の中でも煙草の煙が漂っていた。
テーブルの上には必ず‘灰皿’が用意され、その脇には卓上ライターも添えられていたのが普通の風景だった。
当時は、煙草の匂いをそれほど気にしなかった。そうしたものだ、と誰もが了解していたからだろう。戦時中の配給品の中には煙草があって、それで味を覚えた男性が多いと聞いた。また宮内庁は何年も前にお止めになったらしいが、配られた恩賜の煙草には菊のご紋章が印刷されていて、同じ煙草でもどこか上品な雰囲気が漂っていた。
とはいえ、子供にとっては煙たかった思い出はしっかりあるけれど。
他にも名曲喫茶、あるいは普通の喫茶店でも、コーヒーに煙草は付き物だったし、飲食店でも食後の煙草は堂々と吸われていた。
しゃれたバーのカウンターで、高級ウィスキーやブランデーが注がれたグラスを片手に、葉巻をくゆらす初老の男性はそれなりに様になっていた。もしかしてこちらは生き残るのだろうか。
それが‘蛍族’を、マンションや団地のベランダに見かけるようになったのはいつの頃からだったろう。
それでも長い間、駅のホームから線路を見下ろすと、投げ捨てられた吸殻でびっしり埋まっていたのは山手線だけではなかった。
街のあちこちに落ちているのが都会の道路。今では路上喫煙に2000円の罰金を課すようになった。時代は変わったのだ。
そんなふうに、次第次第に肩身の狭い状況に追いやられ、これからますます愛煙家は辛くなるご時世の到来のようだ。
最近では煙草の匂いをかぐ機会はほとんどなくなった。
そうすると離れたところから風にのってくる煙の匂いがもの凄く気にかかるようになった。不快感が鼻先から脳に一直線道路を走ってくるようだ。いつしか電車の座席では、隣に座った男性から少しでも匂いが漂うと、その匂いに敏感になってしまった。
これだけ周辺から匂いがなくなってみると、以前なら考えられない拒否反応が自分の中におこるのを感じている昨今である。昔はそんなじゃなかったよね。
そういえば、涙ぐましい努力の甲斐なく、煙草をやめることができない知人がいる。本数を減らし、キセルに小さく切って吸っている姿をみると可哀想になってしまう。堂々と吸えば、と言ってあげたくなる。それなのに、彼は、他の人が何人も吸っている場にはいられない、というから可笑しいのだ。
何を隠そう。わが父もなかなかやめられなかった一人だ。そのせいか肺癌を発症した。そこで手術をすることになったが、執刀までの一ヵ月、煙抜きをするために入院を余儀なくなれた。週末は自宅ですごすことを許されたが、きっと隠れて吸っていたのかもしれない。
また病院には喫煙所があって、禁煙を言い渡されている患者が、ドアが開くのを待って、流れてくる空気を吸い込んでいたのは、一人や二人ではない。受動喫煙までしたくなるほど脳に刻まれた‘紫煙の記憶’は消しがたいらしい。お気の毒としか言いようがないなぁ~。
きっと、早晩、この言葉も死語になろう。
さらば「紫煙」よ!
一気に2千個購入予約をしている人の話も聞かれる。
思い起こせば私の子供のころは、家の中でも煙草の煙が漂っていた。
テーブルの上には必ず‘灰皿’が用意され、その脇には卓上ライターも添えられていたのが普通の風景だった。
当時は、煙草の匂いをそれほど気にしなかった。そうしたものだ、と誰もが了解していたからだろう。戦時中の配給品の中には煙草があって、それで味を覚えた男性が多いと聞いた。また宮内庁は何年も前にお止めになったらしいが、配られた恩賜の煙草には菊のご紋章が印刷されていて、同じ煙草でもどこか上品な雰囲気が漂っていた。
とはいえ、子供にとっては煙たかった思い出はしっかりあるけれど。
他にも名曲喫茶、あるいは普通の喫茶店でも、コーヒーに煙草は付き物だったし、飲食店でも食後の煙草は堂々と吸われていた。
しゃれたバーのカウンターで、高級ウィスキーやブランデーが注がれたグラスを片手に、葉巻をくゆらす初老の男性はそれなりに様になっていた。もしかしてこちらは生き残るのだろうか。
それが‘蛍族’を、マンションや団地のベランダに見かけるようになったのはいつの頃からだったろう。
それでも長い間、駅のホームから線路を見下ろすと、投げ捨てられた吸殻でびっしり埋まっていたのは山手線だけではなかった。
街のあちこちに落ちているのが都会の道路。今では路上喫煙に2000円の罰金を課すようになった。時代は変わったのだ。
そんなふうに、次第次第に肩身の狭い状況に追いやられ、これからますます愛煙家は辛くなるご時世の到来のようだ。
最近では煙草の匂いをかぐ機会はほとんどなくなった。
そうすると離れたところから風にのってくる煙の匂いがもの凄く気にかかるようになった。不快感が鼻先から脳に一直線道路を走ってくるようだ。いつしか電車の座席では、隣に座った男性から少しでも匂いが漂うと、その匂いに敏感になってしまった。
これだけ周辺から匂いがなくなってみると、以前なら考えられない拒否反応が自分の中におこるのを感じている昨今である。昔はそんなじゃなかったよね。
そういえば、涙ぐましい努力の甲斐なく、煙草をやめることができない知人がいる。本数を減らし、キセルに小さく切って吸っている姿をみると可哀想になってしまう。堂々と吸えば、と言ってあげたくなる。それなのに、彼は、他の人が何人も吸っている場にはいられない、というから可笑しいのだ。
何を隠そう。わが父もなかなかやめられなかった一人だ。そのせいか肺癌を発症した。そこで手術をすることになったが、執刀までの一ヵ月、煙抜きをするために入院を余儀なくなれた。週末は自宅ですごすことを許されたが、きっと隠れて吸っていたのかもしれない。
また病院には喫煙所があって、禁煙を言い渡されている患者が、ドアが開くのを待って、流れてくる空気を吸い込んでいたのは、一人や二人ではない。受動喫煙までしたくなるほど脳に刻まれた‘紫煙の記憶’は消しがたいらしい。お気の毒としか言いようがないなぁ~。
きっと、早晩、この言葉も死語になろう。
さらば「紫煙」よ!
1日に1本くらいですが。
ただ、お酒を飲む時は3本くらい吸います。
3カートン買い置きしてます。
夕食後の一服はとても大切な時間なのです。
至福のときは、大切ですね。
85歳の母は、随分と受動喫煙しているはずなのに、元気です。
人それぞれ、と内心では思っておりますが。