直近の土曜日・日曜日の朝日カルチャーレッスンで、YouTubeの「機能解剖学ー呼吸筋」を見ていただいた。
見た後では、皆さんの動きの質が明らかに変わった。
さて、私自身のこと。
前提:肺は筋肉ではないので、自ら動くことはできず、呼吸筋が働いて初めて成り立つ。
思い当たる節がある。
実は、五十肩を患う前に、声が出にくくなったことがあった。
その時は、大学の授業と朝日カルチャーの講座、そのほかワークショップ等々で、1週間に平均して8コマ・野口体操を指導していた。さらに母の介護も重なるという、ストレスを回避するにもできない状況であった、と今になって振り返っている。
声の問題は、ボイストレーニングを受けたいと思ったが、その時間さえとれないまま数年がすぎた。
そうこうするうちに、母が92歳で高齢者施設に入所してくれた。その後半年くらいで左の肩が痛くなって、いわゆる五十肩になった。私、69歳の春だった。
それから一年以上が過ぎて、左がよくなりかかったその時に、右側に痛みが生じた。これも五十肩だ。
同時でなくてよかった、かな。
それからおよそ2年半、ようやく今年の7月に痛みがなくなった。
それまでの間、野口体操の動きの中でもいくつもの動きができないまま過ごしていた。
おそらく声が出にくくなっていたのは、呼吸筋に負担がかかっていて硬くなっていたこともあるだろ、とYouTubeの解説を見て了解した。
五十肩も発声(呼吸)も共通した筋肉群の問題だ、と気づいたのだ。
そこで、初心に戻って、野口体操の動きを一からやり直すことにしている。
動きの見直しを行っている。
それができるのも痛みが軽減されたからだ。
授業時には痛みを我慢して学生に動きを見せなければならなかった。それが悪化させた一つの原因でもあると思っている。そういっても始まらないのだが・・・・・
過ぎた時間は取り返せない。しかし、この経験は残された時間の中で、ものすごく大切になってくる、と思っている。
収穫!
呼吸筋群を中心に揺する動きが、野口体操の中にはたくさんあることが実感できた。
つまり、外側の大きな筋肉だけでなく、内側の体幹に関わる筋肉群を刺激する揺すり方を、晩年の野口三千三は徹底して探っておられた。一人の体操の教師として人生を生き抜いた最後の願い「微細な動きへの憧れ」に違いない。
重さの流れを視覚的にも触覚的にもイメージしやすい「スライム」から始まって、身体内側の物言わぬ「液体(水)のイメージ」。風によって移動する「細かい砂の動きのイメージ」。様々な物が「波・渦・螺旋」を描く運動(ムーブメント)イメージの助けを借りながら、ほぐすことの大切さをレッスンで説いておられた。
◯◯の目的で、◯◯の効果を得るために、健康のため、世のため人のため、自分のため、さらにそれを伝えるため・見せるため、・・・・に、野口体操を行うのではない。動きそのものの中に、まるごとの全体を没入させて味わう。それに尽きる。
全てが「無」になる。
全てが「空」になる。
自分という自我は、どこかへいってしまっている。
そこには体操をしている一人の自然体が存在する。
何ごとも"本気で本気になる”。
しみじみ思うコロナ禍の晩秋である。
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