年上の知人の中には、‘片付けられない症候群’の方が数名おられる。
中には鬼籍に入られた方もいる。中のお一人とは、その片付けと自宅改築に全面協力をさせていただいたこともある。お蔭様で何をどのように捨てるのか、あるいは一気呵成に何を捨ててはいけないのか、ということの微妙な折り合いを学ばせてもらった。といっても全て上首尾にいったわけではない。
目を我が家に転じると、こちらも似たような状況だった。なにしろ戦後間もない頃から平成の時代までのものが蔵の屋根のむき出しの梁の高さまで積みあがっているのだ。父が亡くなったときから、ぼちぼち片付けはじめて、他の人の手伝いを頼んで最後のスパートをかけられる状況まで、ようやく漕ぎつけた。一年中片づけが出来るのではないので、かれこれ八年の歳月が流れた。
ここまでくれば、あとは時間の問題である。一気に人手を頼んで片付けることが出来るというもの。今年の夏は、そうした意味でホッとした。
なんで夢中になるのか、と問われれば、さまざまな理由で‘片付けられない症候群’を患った知人たちの存在とかつての経験が、私を駆り立てているのだ、と答えている。
さて、もう一つの懸案事項は、経済問題だった。こちらはまったく疎い。しかし、高齢になって社会生活を、若い方々に迷惑をかけずに過ごすには、多少の知識と行動はせねばならない、と思い立ったのが一昨年の暮だった。
有難いことに父が残してくれた遺産も多少あって、それを簡単に失わないためには、一般社会の経済活動にも関心を向けようと思った。実際に銀行と証券会社の人に教えを受けながら、株について債権について為替について実践をしながら輪郭をつかませてもらえた。
なにより面白かったのは、新聞は文化欄中心だったのが全面的に目を通すようになったこと。読む本の範囲が広がったことで社会の動きに関心が持てるようになったこと。
これが社会を支えている一つの世界なのか、と垣間見ることはそれなりによい経験だった。
一家を支えると言うことは大変なんだ、ということを身をもって体験しつつ、高齢になると家の中の片付けと相続、そして財産管理は、手に負えなくなる困難な問題であることを実感として知ることができた。それだけでも、この数年間の‘家問題’に集中した期間は無駄ではなかった、と思っている。
さてさて、次は、何か。
残された時間がどのくらいかはわからない。わからないから今度は残された人生を豊かに生きることに専念していきたい、なんて思ってるの。
姥桜こそ花の究極の美しさだ、っといったのは誰だったかな。
中には鬼籍に入られた方もいる。中のお一人とは、その片付けと自宅改築に全面協力をさせていただいたこともある。お蔭様で何をどのように捨てるのか、あるいは一気呵成に何を捨ててはいけないのか、ということの微妙な折り合いを学ばせてもらった。といっても全て上首尾にいったわけではない。
目を我が家に転じると、こちらも似たような状況だった。なにしろ戦後間もない頃から平成の時代までのものが蔵の屋根のむき出しの梁の高さまで積みあがっているのだ。父が亡くなったときから、ぼちぼち片付けはじめて、他の人の手伝いを頼んで最後のスパートをかけられる状況まで、ようやく漕ぎつけた。一年中片づけが出来るのではないので、かれこれ八年の歳月が流れた。
ここまでくれば、あとは時間の問題である。一気に人手を頼んで片付けることが出来るというもの。今年の夏は、そうした意味でホッとした。
なんで夢中になるのか、と問われれば、さまざまな理由で‘片付けられない症候群’を患った知人たちの存在とかつての経験が、私を駆り立てているのだ、と答えている。
さて、もう一つの懸案事項は、経済問題だった。こちらはまったく疎い。しかし、高齢になって社会生活を、若い方々に迷惑をかけずに過ごすには、多少の知識と行動はせねばならない、と思い立ったのが一昨年の暮だった。
有難いことに父が残してくれた遺産も多少あって、それを簡単に失わないためには、一般社会の経済活動にも関心を向けようと思った。実際に銀行と証券会社の人に教えを受けながら、株について債権について為替について実践をしながら輪郭をつかませてもらえた。
なにより面白かったのは、新聞は文化欄中心だったのが全面的に目を通すようになったこと。読む本の範囲が広がったことで社会の動きに関心が持てるようになったこと。
これが社会を支えている一つの世界なのか、と垣間見ることはそれなりによい経験だった。
一家を支えると言うことは大変なんだ、ということを身をもって体験しつつ、高齢になると家の中の片付けと相続、そして財産管理は、手に負えなくなる困難な問題であることを実感として知ることができた。それだけでも、この数年間の‘家問題’に集中した期間は無駄ではなかった、と思っている。
さてさて、次は、何か。
残された時間がどのくらいかはわからない。わからないから今度は残された人生を豊かに生きることに専念していきたい、なんて思ってるの。
姥桜こそ花の究極の美しさだ、っといったのは誰だったかな。
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