羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

本の自炊

2011年09月19日 09時08分02秒 | Weblog
 確かに、いちばん最初に自分の著書を断裁機にかけた時のドキドキ感は忘れられない。
 何冊も同じ本があるからいいじゃない、というものではない。
「ここでいいのかな? もう少し深くしても大丈夫かな? いや、あまり深すぎてもダメかも」
 何度も微調整しながら、ここぞ!というところで決断し、刃を当ててながら感触を確かめ、祈るような気持ちで断裁する。

 何冊もやっていくうちに慣れがこわい。丁度よいところに切り込みが入っていない事に、Scanしている段階で気づかされることもあった。つまり、離れていないことで読み込まれていく途中で、紙が折れてしまってエラーに遭遇した。
 また古い雑誌等々は、ホッチキスのような留めが錆び付いていてもろくなっているにも関わらず、はがれにくい状態で、危なくおろした刃に当たってしまうことなどもある。

 一冊、一冊が、微妙に異なる。それでも書籍は、まだ楽な方だ。厄介なのはそれ以外のもの。30年も40年も経過した紙は、それだけで傷みがすすんでいる上に、当時の紙質の悪さによって、すっきりと通過してくれない。しかたなくA3キャリアシートに挟み込んでScanするのだけれど、読み取った大きさはA3ではないために、曲がってしまうこともあったり、コピーをとってみるとものすごく小さいサイズでしか出来なかったりする。

 しかし、とりあえず1949年から1998年まで、もろもろの記録を全部ではないもののデジタル化できたことは、「野口三千三授業記録の会」としてはメインの仕事として有難いの一言である。
 
 そのうち「本の自炊の心得」とでも題して、電子本でも書きますかね。
 今回だけで、iPadのiBooksでは、読めないものが出て来るほど重くなってしまった。どうやら紙の黄ばみや先生の赤字やシミなどもScanしたいために、カラー設定で行っていることで重くなってしまうらしい。NHK大河ドラマ龍馬伝の“汚し”に通じる時代感がいいんですよ。当時の息づかいが聞こえるようでね。
 今回、書籍物の他に、「○○○○年○○月×××××記録」の項目がおよそ百項ほどになった。ようやく半分というところだろうか。
 まとまるとDropboxにあげて、保存完了。ホッとするわけです。
 
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