羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

漱石 『こころ』 角川文庫

2022年11月21日 19時45分15秒 | Weblog


なんて手触りのいいカバーだろう。
しっとりと手に馴染む。
柄行きも洒落ている。
「これからおりおりお宅へ伺ってもよござんすか」
そんな言葉遣いが似合う装丁。

なぜ漱石の「こころ」なのか。
ご説明しよう。

実は、先日、ある方から登場人物の「先生と私」が連れ立って歩く場所ことを教えられた。
二人は上野の花を見ながら
《我々は群衆の中にいた。群衆はいずれもうれしそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。》

そこから
恋は罪悪・・・・苦しい恋談義・・・・先生と私とは博物館の裏から鶯谷の方角に静かな歩調で歩いて行った。垣の隙間から広い庭の一部に茂る熊笹が幽邃に見えた・・・・と描かれているその場所こそ、先日の「偲ぶ会」で皆さんに歩いていただいた『野口三千三の「哲学の道」であり「おっかさんランニング」』の場所ではないのか。

だとすると漱石もあの道を歩いたに違いない。
そして驚くことに『こころ』が岩波書店から出版された年は、三千三先生が生まれた年、大正3年(1914)である。
なんという偶然!その時、漱石は47歳。
2年後の大正5年(1916)には、49歳の若さでこの世を去っている。

明治末期か、あるいは大正初期か、鶯谷への道の途上で何を思ったのだろう。
急に漱石が身近に感じられるから不思議だ。
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