羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ゴミの分別

2017年11月02日 09時33分46秒 | Weblog
 先日、『孤独のすすめ』五木寛之著 中公新書ラクレ を読んだ。
 第6章 『まず「気づく」こと』
『「ガラクタも捨てなくていい」ーモノはいわば、回想の憑代といってもいい。だからどんなモノでも、捨てずにとっておくことは大きな意味があります』
 年寄りに残された楽しみは、回想力を活かして独り楽しむことらしい。
 すべてが回想の憑代となって、回想にはお金もかからない、とおっしゃる。
 
 そうはいっても、モノをとっておくのも程度がある。
 父のモノ、母のモノ、自分のモノ、それに野口体操のモノが加わっている。
 そうして、何を取っておくのかと頭で考えていると、モノに殺されそうな気がしてくる。

 残された時間は限られているのにこのままではいけない。
 快適に過ごすために、必要なモノだけを残すことにしたい。
 とにかく捨てられるモノから手始めとしよう、と意を決する。

 ここまでは、意識と理性で分別はじめた。
 いざ、一歩踏み込んで片付けてみると、いけませんわ!
 ひとつひとつに「情・懐・哀・思・想・憶……」がべったりついた「もの」に隠れた本体が顕われる。

 それでも、蔵の入り口から右回りに、足下から捨てはじめた。
 何年かかるのか、見当はつかない。
 いずれにしても誰かに手伝ってもらう前段階の準備を始めた、というわけだ。

 それにともなって面倒なのは、分別である。
『平成29年度 ごみ・資源の収集カレンダー 「分別に迷うもの」一覧表』を片手に、ものと一覧表を見比べながらの作業である。

 これが実に細かい。
 これほど分別して、最後はどうなるのだろうか、と、思わなくもないが考えないことにした。

 いざ、今朝、自宅前に山ほど並べた。
 そのうち、二点ほど置いていかれたものは、可燃ゴミとしてだしてよいらしい。

    *******

 気持ちのまとめ。
 はやいはなしが、捨てずにおくのも、捨ててしまうのも、ほどほどがいいってことよ。
 三年ほど前に、3年かけて整理をしたことがある。捨てたいもの全体の三分の一を整理した。
 今回は、気持ちに変化で生じている。
 あの時には捨てることができなかったものも、今ならば躊躇いなく捨てることが出来るようになっている。
 時間が気持ちを整理してくれるようだ。
 いつか誰かに手伝ってもらえる状況になるまで、気長に、ぼちぼち、孤独な片付け作業を密かに楽しむことにしよう。
 分別に迷いながら……。
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