羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「みんな」の時代

2012年09月29日 04時57分00秒 | Weblog
 昨日、村上春樹氏の寄稿「魂の行き来する道筋ーそれは安酒の酔いに似ている。」は、多くの人々に共感を与え、たくさんの人々に読まれた様子が、TwitterやFacebookの書き込みから見えてきた。因みに、今年のノーベル文学賞はこの人に!といった悲願に近い思いが垣間みられたのは、私だけだろうか。
 
 一方、『政治を話そうー「みんな」の時代』オピニオンでは、やはり作家の橋本治氏が寄稿していた。
 こちらもなかなかに卓見で、今のわけがわからない政治情勢を、一つの方向から見せてもらえた。
 主張の一点はこうだ、
《「上から」のリーダーは終わり もっと頭を使っていかないと》
「国民」というより「みんな」のという意識の萌芽は今から40年前1970年代の全共闘を名乗る学生の集団が生まれた時代にあるという。
〈「国民」というより仲間 ワンテーマで横並び 結集したその先は》
 と問いかけるが、今の政治への何となくのフラストレーションの一つの答えであるかもしれない、と思いつつ寄稿文を読んだ。

 村上さんの影に隠れてしまった感があるけれど、こちらも読んでなるほど!と思えた。
『政界再編が起こるかどうかは分からないというのは、今や政党自体が個人名を冠した個人商店党的なものになっているからだ。たとえば小沢党とか橋下党とか、野田党になれない民主党は崩壊の危機を迎えているが、云々』
 
 二人とも右手で頬ヅエをついている写真を載せているが、村上さんがカメラ目線で堂々とこちらを向いているところに作家として生きる姿勢の違いがあらわれていて興味深かった。

 いずれにしても野口体操という個人名の体操をミッションする私としては、野口三千三が言うところの「あなたの名前になった時、はじめて体操が皮相なものではなくなり、本物として根付いたということです」
 その言葉が思い出された。
 申し訳ない、まだ羽鳥体操とは言い難いところに忸怩たる思いを抱いている。
 同じ、個人と言っても、微妙な差異がありますがね!
 
 ようやく読むべきものが出揃ってきた、という感がしています。
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