羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

それってご趣味?

2008年09月15日 10時26分36秒 | Weblog
 小学校3年生まで住んでいた町には、煎餅を焼きながら売っている店が、家の近くにあった。
 一日中、おじさんが座り込んで、一枚一枚、丁寧に焼いている。
 あたりには煎餅特有の香ばしい匂いが立ち込めていた。
「焼き立てを頂戴」
「ダメだよ、乾いたのをもってきな」
 紙の袋に無造作に入れてくれたような記憶がある。
 当時は、煎餅に限らず、つくっている場所とつくっている人の顔が見えるものが多かった。
 スーパーなんてなかったものね。

 もう一件は、野口三千三先生が住んでいた西巣鴨の煎餅屋。
 先生のご自宅は旧中仙道から入ってすぐのところにあった。
 その旧中仙道を明治通り方向に歩いていくと、大正時代を思わせる古い建物の‘種苗店’を過ぎ、‘久保田病院’の数件先、通りに出る少し手前に、手焼き煎餅屋があった。屋号は失念。
 ……固焼き煎餅、ザラメ煎餅、海苔のついた磯まき煎餅、揚げ煎餅、そのほかアラレ類……、とにかく良質の米の天日干しされた生地は、歯ざわり・噛みごたえ、もちろん味、すべてが文句なく美味しかった。
 しかし、どうかなぁ、今でもやっているのかしら。

 個人経営のこうした店は、後継者もなく、町から姿を消している。
 もし、続けようとするならば、ほかに収入を得るものがなければ、煎餅だけでは食べていけない。
 
 たとえばクリーニング屋も然り。
 我が家の近くで、今でもきちんとした仕事をする創業80年のクリーニング屋が一軒になってしまった。ここの料金はかなり高い。
 それでもぎりぎりの経営だと言う。
「うちは息子がついでくれるんですよ」
 奥さんは嬉しそうだった。
「この上にマンションがありますから」
 小さいが3階建てのビルになっている。

 他にも永福町の親戚の家のそばには「梅花亭」と言う屋号の和菓子屋がある。
 役者のような面立ちの初代はとっくに亡くなったが、‘最中’は客の顔をみてから注文の数だけ餡を詰めてくれる店だ。
 そこは息子さんが一級建築師になって、いつの間にか立派な自宅件設計事務所になっていて、その一角に小さな和菓子屋が残してある。

 こう書きながら、複雑な思いがする。
 昔ながらの個人商店を営むには、資産がなくてはやっていけないなんておかしい、と思いません?
 それって趣味ですよね。
「いやいや文化をのこす気概です」
 不謹慎って怒られそうだけど、なんか笑っちゃいますよね。
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2 コメント

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伝統をどのようにいかすのか (羽鳥)
2008-09-16 18:56:19
かめいどさん。
‘有志の方々の情熱に尽きる’ということば身にしみます。
おっしゃるとおりですね。
人類の歴史のなかで消えていった文化は、数知れずあるのでしょう。
コメント、ありがとうございます。
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武術も (かめいど)
2008-09-15 20:18:56
武術を本業にして生計を立てられる人はごく少数ではないかと思います。
武術の先生では、カルチャーセンターの教室や自分の教室をいくつも持っていないと十分な収入が得られないでしょう。
また、おおざっぱな言い方ですが、都心では習いたい人がいても練習場所がない。地方では体育館は空いているが生徒が集まらない、あるいは、逆に先生がいない、などのジレンマがあるようです。
日本伝統の武術や外国から流入した武術が残っているのは、本当に有志の方々の情熱に尽きると感じます。
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