羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

地球からのお暇乞いは、もうしばらく先に……

2009年01月08日 09時10分03秒 | Weblog
 つい先日、何気なく聞こえてきたニュースのことばに、はっとして振り向いた。
 テレビ画面には、ブータンの村が映し出されている。
「この村でも電気を求める人が多くなり、近代化の波が押し寄せ始めた」
 正確ではないが、このような内容のナレーションが、家とそこに住まう村人の姿にかぶさっていた。

 ブータンは、しばらく前までGDPより‘GNH(国民総幸福量)を指標とする国づくり’を国王が目指していた。
「多くの民が、自然との共生のなかで充足した暮らしを営んでいる」
 国内をくまなく歩いた国王は、その時点でGDPという指標はいらないと考えたらしい。
 この話をはじめて耳にしたのは、かれこれ数年前のこと。
 千葉大学に通う院生が野口体操のことを修士論文に書くにあたってインタビューを受けた際に聞いた話の受け売りである。
「時間の問題でもあるのですが……」
 戸惑いつつ話していた彼のことばが現実味を増してきた。
 最近のブータンでは‘GNH’の考えが、危うい状況に陥りつつあるらしい。
 一つにはインターネットによる情報が変化を促進していると言う。

 未だに電気が通っていない村で、一日も早く電気を引き家電製品を使いたいと思う女性が出現したことをそのニュースは伝えていたのだった。
 こうした問題は、いいとも悪いとも言えない微妙さがある。

 ところで、先進国の仲間入りをした私たちの食卓にのぼる農産物は、莫大な量の石油を必要としていることはすでに周知の事実である。
「現代の農業は、1キロカロリーの食料を生産するのに10キロカロリーの石油エネルギーが投入されている」とものの本には記されている。
 私たちは、日々、膨大な量の石油を食べていることになる。
 さらに世界中から食料を輸入している私たち。運輸燃料をそこに加えたら、限りある地球資源を食い尽くしているとしか言いようがないのが現実である。

 こうした石油に依存する文明は‘石油バブル’の只中で暮らしているのだ。
 次に記す数字を知って驚くなかれ、いや、驚いて欲しい。
「石油はわずか100ccで1キロワット時に相当し、それは小型車を東京タワーのテッペンまで引っ張り上げるくらいのエネルギーになる」。
 読み方によっては、この数字は大型車を生産しつづけて、世界をリードしてきたアメリカ自動車のビック3が破綻していくのは、もしや‘神の啓示’かもしれない。無謀な考えさえしたくなる数字ではないだろうか。

 思い起こせば、子供のころの私は、アメリカのホームドラマや大量生産大量消費の夢のアメリカ情報の中で育った。
 アメリカ的なハッピーさを映像を通してだけれど見せられて育った世代である。
 しかし、野口体操を始める少し前から、身の丈にあったハッピーな暮らしとは、いったいどのような暮らし向きなのだろう、と考え始めていたように記憶している。
 
 そう問いかけながらも、ブータンに暮らす女性たちが家電製品を求める気持ちを抑制しなさいとは、にわかには言いがたい、と思いつつニュースに目を留め耳を傾けた。

 繰り返すがアメリカ的ハッピーな暮らしを支えるのは石油だ。
 そのためにしなくてもよい戦争を引き起こす。
 これまでにすでに知る人は知っていた‘ハッピーさの限界’を、多くの人が気づきはじめた。
 さらにIT化によって世界がフラットになりつつある。
 
 現在のITの波を起こしたのは、時のシェアリングと言う知恵を持った人々による。
 国防や権力の側にあった大型コンピューターを「時間貸し」という方法で、アメリカのヒッピーたちが手に入れたのが始まりといえる。
 大型コンピューターを個人レベルに引き落とした。
 個人を結ぶインターネットを普及させ、世界を巻き込んで良くも悪くも新たなつながりを生み出した。
 
 しかし、その一方でIT化が、資本主義を暴走させる手助けをしてしまった。
 凶器となったITなのだ。それにによってひきおこされた金融危機で、国家破綻寸前まで追い込まれた人々がいる。
 危険な物言いだが、実はこうした危機は、あたらしいシナリオを書き始めなければならない‘時’に立たされている自覚を促し、一刻もはやく取り掛からなければならないことを突きつけるものに違いない。

 さて、さて、ここで想う。
 中国には、‘獏’という生きものがいるらしい。
 形は熊に、鼻は象に、目は犀に、尾は牛に、足は虎に似て、毛は黒白の斑で、頭が小さく、人の悪夢を食うと言う想像上の生きもの。その皮を敷いて寝ると邪気を払ってくれるらしい。
 はたして獏に悪夢を食べてもらって、頭のなかに植えつけられた価値観を一掃して、出直すことにしたいが、なかなか無理らしい。
 一掃とまでいかなくても、この世界危機がきっかけとなって、自分たちの生存の足下を見直すきっかけにしなければなるまい。

 覚めた目でみて、生物の歴史は種の絶滅の歴史だとしても、もうしばらく人類が生き延びることを神様に許していただこうではありませんか。

 まずは、石油文明の見直しと、両刀の刃であったIT利用法を見直し、人間が地球からのお暇乞いをさせられる時期を、すこしでも先延ばしにできる可能性を探ることにしよう、と思うこのごろである。
 
 はてさて、話がまとまらなくなってきた。
 今日は、これで失礼。
 明日、出直します。
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