先日、母の施設での「窓越し面会」は、3回目だった。
いつものようにスケッチブックを持参して、こちらからの会話は筆談。
母の声は、機械を通してはっきりしっかり聞こえてくる。
直接面会ができて、一時間以上は一緒に過ごせた頃には、自宅に帰りたがることがあって、別れ際には挨拶をしないままそっと抜け出すこともあった。
今回、8ヶ月ぶりの15分窓越し面会では、そうした言葉は全く聞かれなくなった。
別れるときに両手を振ってくれて、別れがたい感じは受けている。
95歳の母と話していると、過去を惜しむことも未来を憂うこともなく、今この時の刹那だけに生きているような気がする。
瞬間、瞬間の言葉や目に入るものに反応するけれど、それは瞬時にして消えていくような、“こだわり感”が、消えているような印象を受ける。
いつもの日常とは違うことがあるとすごく喜ぶし、綺麗なものを見ると心から嬉しがる。
その反応は、ぱっと咲いてぱっと消える花火のような心の蠢きのようだ。
もしかすると、不安も消え失せているのだろうか、と思うこともある。
心にひっかっかるものは、一切ないようにも思える。
誰に対しても、ニコニコと笑顔を見せている。
想像が及ばない世界に、母は生きているのかもしれない。
会うたびに穏やかな母と接していると、娘としての安心の中にも、置いてきぼりされたような一筋の寂しさが漂う。
微妙。