電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

明治初期の硫酸製造と大阪造幣局

2015年06月29日 06時02分26秒 | 歴史技術科学
山形師範学校の付属小学校における天覧実験(*1)は無事に終えたものの、明治初期の初等教育において、リービッヒ流の「実験を通じて学ぶ化学」が行われていたわけではありません。各地に建てられた小学校には、一斉教授用の教場(教室)はあっても、生徒用の理科実験室などはもちろんありませんでした。教場における主たる道具立ては、黒板とチョークと掛図、生徒は石版と石墨、紙と筆と墨、といったところでしょう。


(明治9年、鶴岡に建てられた朝暘学校~当時全国最大

ところで、明治15年当時の島津製作所のカタログ(複製)が手許にありますが、種々の物理化学の実験器具のほかに、例えば化学実験セットが二種掲載され、おそらくは薬品の種類や機器の組み合わせの違いで、お値段が違っています。30円と50円とあり、仮に当時の1円=2万円とすれば、現代風に言えば1組60万円と100万円のセットということになります。こうしたセットを購入できたのはおそらくは裕福な学校であり、学校にとっては例えば天覧実験の際に供するような使い方の、貴重な財産であったろうと思われます。







では、明治初期に、化学実験用の薬品はどうしていたのか? あるいは、大量に必要な、産業用の薬品は? おそらく、はじめは高価な輸入品を用い、後にそれら真似て(模範として)、国内で製造できるかどうか様々な形で試みられたのでしょう。その例として、長州ファイブの一人・遠藤謹助(*2)が勤務した大阪造幣局(*3)における硫酸製造を取り上げます。

明治政府は、近代的な貨幣制度を確立するために、大阪の地に造幣寮(後に造幣局)を建設します。明治4(1871)年のことでした。日本政府が英国の東洋銀行と結んだ条約をもとに、グラバーを通じて香港にあった造幣局の設備や主だった人員も移転したような形であり、監督権も日本側にはなく、元陸軍少佐で元香港造幣局長の地位にあったキンドルを中心に、外国人の指導のもとに事業が進められました。井上馨や遠藤謹助など、英国に密航留学した経験を持つ日本人幹部とはしっくりいかなかったようで、後に(明治7年)キンドル排斥運動が起こったりしていますが、明治初年の当時、実際の設備を運用するには、短期間の留学経験では実務的に役に立つことは無理だったでしょうし、ロンドン大学のウィリアムソン教授の姿勢とは違って、香港での経験からアジア人を蔑視する傾向を持つキンドルらに対する反発も強かったことでしょう。


(大阪造幣局外観・『造幣局のあゆみ 改訂版』より)(*3)

大阪造幣局は、洋式設備による貨幣製造工場であるだけでなく、素材となる金属の分析や精錬、製造加工など自給自足が可能な総合的工場でもありました。勤務体系や複式簿記の採用、日曜休日、1日7時間労働制など、英国風に合理的に整備され、断髪で洋服の着用など、現代に通じるスタイルを取り入れた工場でした。

とくに「金銀の分離精製や貨幣の洗浄に用いる硫酸は、明治5年に開設された硫酸製造所において、英国人技師フィンチの指導のもとに製造を開始」(*3)されたと記録されています。
明治6(1873)年の構内図に、「四百ポンド硫酸室」および「硫酸室(鉛室、硫黄窯場、精製煮詰窯場)」の存在が確認されます。


(造幣局構内図:『造幣局のあゆみ 改訂版』より)(*3)

塩川久男氏によれば(*4)、明治5年には「日産400ポンドの生産量で、不足分は輸入しなければならなかったので、先進技術により多量生産を行うため、同年4月フィンチを雇」いいれ、明治6(1873)年には新工場も建設されて、「造幣局でつくった硫酸が一般に販売され」るようになったこと、明治8(1875)にはガウランドがこの硫酸を分析し、「今般再溜の分は純粋なり」のお墨付きも得て上海に輸出されるようになったとのことです。

明治5年の開設から明治18年の民間会社への貸渡までの間に、硫酸の生産実績は 17,446,000 ポンド余り(*4)となっており、同時に硫酸製造は一国の化学工業の水準の指標である(*5)との言葉のとおり、硝酸、塩酸、アンモニア、リン酸アンモニウム、硫酸アンモニウム、硫酸亜鉛、硫酸鉄などの化学薬品も製造し、ソーダ工業もここから興されます。大阪造幣局は、当時の日本の化学工業の中心であったと言えましょう。


(*1):明治天皇の東北巡幸と山形師範学校における化学の天覧実験の記録~「電網郊外散歩道」2015年6月
(*2):長州藩の密航留学生は何を学んだか~「電網郊外散歩道」2014年8月
(*3):『造幣局のあゆみ 改訂版』平成22年 (PDF)
(*4):塩川久男「科学と社会~日本における近代化学の成立」、『科学と実験』p.66,Vol.29,No.12
(*5):「硫酸」~Wikipediaの解説


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