電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』を読む

2015年06月20日 06時03分06秒 | -ノンフィクション
講談社現代新書で、福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』を読みました。学生時代に生化学を専攻したとはいうものの、その後の進歩はフォローしきれず、アセチルコリン・レセプターのサブユニットの塩基配列が解明されたあたりで止まっております。本書がベストセラーになっていた時期も、なにをいまさら二重らせんでもあるまいと、とくに関心を示さずにきておりました。そんな時に、たまたまPCR法の確立以降を扱った入門書を探すことになり、本書を手にした次第です。

私にとっては、エイブリーの肺炎双球菌を用いた実験(遺伝子の本体はDNAである)や、シャルガフの法則(4種の塩基のうち、AとT、CとGの含有量は等しい)などは、学生時代を思い出させ、なんとも懐かしい、ほろ苦さを持った内容です。しかし、PCR(polymerase chain reaction)法は、私にとってはそうではありません。原爆症の父が最初の胃ガンで剔出手術を受け、大学院進学を辞退し就職へと急に進路変更してから10年も過ぎたころに確立された方法です。もし、経済的基盤を失ったまま、家族を見捨てて大学院に進学していたらどうなっていたのだろうと恐ろしくなります(^o^)/
本書の構成は、次のとおり。

第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク
第2章 アンサング・ヒーロー
第3章 フォー・レター・ワード
第4章 シャルガフのパズル
第5章 サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ
第6章 ダークサイド・オブ・DNA
第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
第8章 原子が秩序を生み出すとき
第9章 動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)とは何か
第10章 タンパク質のかすかな口づけ
第11章 内部の内部は外部である
第12章 細胞膜のダイナミズム

PCR装置の発表は、1988年のようです。



要するに、DNAの二重鎖を100℃に加熱すると、アデニン(A)とチミン(T)、シトシン(C)とグアニン(G)間の水素結合が切断され、一本鎖となります。これを一気に50℃まで冷却し、徐々に72℃まで加熱していくと、二重鎖に再構成される前にプライマーが結合した箇所からDNAポリメラーゼが作用し、求めるDNAが二倍量に複製されます。これを再び100℃まで加熱し、コンピュータで制御してこのサイクルを繰り返せば、4倍、8倍、16倍…と自在に複製することができます。つまり、

「任意の遺伝子を、試験管の中で自由自在に複製する技術。もう大腸菌の力を借りる必要はない。分子生物学に本当の革命が起こったのだった。」(p.76)

ということになるわけです。
普通の酵素タンパクは、100℃では熱変性して失活してしまうものですが、100℃に加熱してもDNAポリメラーゼが酵素活性を失わない理由は、好熱細菌から抽出されたためで、最適温度が72℃であるとのことです。これも、実に興味深い。



遺伝情報の中から特定の文字列を探しだし、複製する自動化プロセス。その鍵は、ごく短い、人工的に合成可能な、10~20文字の1本鎖DNAでできている二つのプライマーにある、とされます。アンチセンス側はプライマー1から、センス側はプライマー2から、それぞれDNAポリメラーゼが複製していき、2本鎖DNAが2倍に増えて行きます。このようにして、目的のDNAの配列をいくらでも複製することができれば、材料が微小量であっても、困難はかなり回避できることになります。



動的平衡系としての細胞の中で、とくに細胞膜の動態に着目し、人工的に作った脂質二重層は安定なのに、酵素分子を分泌する膵臓の組織では、細胞内で作られた酵素分子がどのように細胞膜を越えて消化管に分泌されるのか。この精妙な膜の動態を明らかにするために、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法で二番目のバンドとして観察される糖タンパク質GP2の遺伝子をノックアウトしたマウスが使われます。その実験の結果は……。

うーむ、明らかになってみれば、ごく当然の結果でしょう。人間社会のある組織の構成員が、事故や病気で「ノックアウト」状態になってしまったときには、たいていの場合、代わりの人が出てきて、仕事はなんとか継続されます。ところが、ある一人の人が悪意を持って特定の仕事をサボタージュしてしまうと、全体がおかしなことになってしまう、そんなイメージでしょうか。

本書で話題にされている、ワトソンとクリックのノーベル賞受賞の業績に、ロザリンド・フランクリンのX線解析の結果がどのように使われたのか、という点については、高校生の頃に読んだ『二重らせん』でも、「かわいそうなロザリンド」と同情したものでした。でも、話題としてはすでに半世紀以上前の出来事で、特に感慨はありません。むしろ、自分自身が厳しい研究競争の渦中に身を置くことなく人生を送ったことを、結果的には良かったと思っていることに、歳月の重みを感じます。

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