電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

半藤一利『昭和史1926-1945』を読む

2011年05月28日 06時02分54秒 | -ノンフィクション
先に『幕末史』をおもしろく読んでいた(*)ことから、平凡社ライブラリ版で、半藤一利著『昭和史 1926-1945』を読みました。上下二巻からなる『昭和史』の上巻、戦前・戦中編です。そういえば、この冬に、NHK-TVでも同様の番組を観ました。開戦の決断は、ずるずると先延ばしにしているうちに、最悪の決断をするしかなくなってしまった、という内容でした。5.15事件や2.26事件の影が見え隠れする時代の現実だったのでしょうか。

本書を通じてはじめて知った、あるいは気づいたことも多くありました。たとえば、こんな点です。

(1) 国民の熱狂とマスコミ報道の怖さ。天皇自身が危険を感じたほどだったらしい。
(2) 軍の人事評価の歪み。人事ではなく閥縁。現地の暴発を抑えられない、処罰できない。
(3) 作戦参謀のシステム。仲間内で比較しての優秀性であり、現実、現場の検証を受けての優秀性ではない。
(4) 情報の民主主義の大切さ。ノモンハン事件の結末は、天皇まで上がっていないのでは。
(5) 穏健派はなぜ敗北するか。急進派の本質は内部闘争への集中にあるから。広く状況を把握している穏健派が排除されると、ダッチロールが加速する。

まことにその通りなのですが、思わずやれやれとため息が出てしまいます。昭和の前半史は、なんだか気持ちが沈みます。



ちなみに、この写真は亡父の古い日記にあった、昭和17年10月29日付けの朝日新聞です。父はこのとき19歳。配偶者(わが元気老母)から古い日記を処分せよとやいのやいの言われていたのに、とうとう処分できず、作業小屋の片隅に保管していたらしいです。紙面の全体のようすは、こんなふうです。



このときは、まさか自分が徴用され、原爆投下直後の広島に救援に入り、入市被爆するとは思ってもいなかったことでしょう。

(*):半藤一利『幕末史』を読む~「電網郊外散歩道」2009年9月
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