電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

音楽CDを購入する

2008年05月16日 06時48分23秒 | クラシック音楽
先日、映画「山桜」を観た折に、上映までの待ち時間を、隣接する八文字屋書店山形北店で音楽CDを探すのに使いました。残念ながら、クラシック音楽のCDは天童店のほうが充実しておりましたが、最近、書店やCDショップが次第に減りつつある実情を考えると、貴重な店舗だと思います。

購入したのは次の2枚。
(1) 「ロシアン・メランコリー」 ウラジーミル・トロップ(Pf) DENON COCO-70934
(2) シューマン「交響的練習曲、子供の情景」 田部京子(Pf) DENON COCO-70931

いずれもピアノ音楽ばかり。ただいま、一人静かに「ロシアン・メランコリー」を聴いております。早朝の雰囲気とは少々違いますが、まあいいでしょう。今日は花の金曜日ですが、地域貢献で遅くなる予定。
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ハイドンの交響曲第6番「朝」を聴く

2008年05月15日 06時38分07秒 | -オーケストラ
5月の山形交響楽団の第189回定期演奏会は、聴くことができましたが、4月の第188回は、親戚の法事等のために上京し、残念ながら聴くことはできませんでした。そのときの曲目が、ハイドンのトランペット協奏曲と交響曲「朝」「昼」「晩」というもので、ゲルハルト・ボッセ教授の指揮によるものだっただけに、なんだか残念で、未練が残っておりました。

ところが、先日珍しく某中古書店に立ち寄ったところ、ディアゴスティーニの例の廉価CDの中に、まさにこの三曲を収録したもの(CC-036)を見つけました。まさしく奇遇! 今朝は、この中から、第6番「朝」を取り上げます。

第1楽章、アダージョ~アレグロ。夜明けのような静かな始まりから、フルートの小鳥の鳴き声のようなフレーズが続きます。活動的で、明快なアレグロです。
第2楽章、アダージョ~アンダンテ~アダージョ。はじめのほうで登場するのは、ヴィオラでしょうか、たいへん渋く魅力的な音です。それがヴァイオリンに引き継がれて、優美な旋律を奏でます。ヴァイオリン協奏曲かと間違えるほど、独奏ヴァイオリンが活躍します。たぶん、コンサートマスターが華やかに注目を集めるところなのでしょう。
第3楽章、メヌエットとトリオ。中間の、わずかに憂いを帯びたチェロの独奏部が魅力的です。
第4楽章、フィナーレ:アレグロ。フルートに導かれ、軽やかなリズムと旋律。いかにもハイドンらしい、明快で快活なアレグロです。前の楽章との対比も、効果的です。

■アルベルト・リッツィオ指揮、サン・マルコ合奏団 (幽霊演奏家)
I=5'51 II=6'16" III=4'04" IV=4'35" total=20'46"

演奏は、アルベルト・リッツィオ指揮サン・マルコ合奏団と表記されておりますが、この方面に詳しい安田さんのサイト(*)によれば、幽霊演奏家、幽霊団体だそうです。幽霊というわりには録音も明快で、CDに表記された「DDD」という表示が正しければ、少なくとも'80年代以降の新しい録音のはず。おそらく、隣接著作権の意識もかなり普及していた頃です。では、なぜ幽霊演奏家による録音などと言うものが誕生したのでしょうか。

ここからは、私の推測です。
ベルリンの壁の崩壊前後、東欧には経済的困難が押し寄せます。音楽家も、生活しなければなりませんが、補助や支援はなくなり、国民生活が困窮の時代にあっては、演奏会以外の収入の道を探さなければなりません。国外に活躍の場を見出せる国際的な知名度を持った演奏家は別として、オーケストラに所属する多くの音楽家たちは、国家の統制の目をかすめて、外国資本による録音の仕事に頼らざるを得なかったのではないか。いわば、ヤミの録音商売だったために、このような幽霊団体、幽霊演奏家の録音が登場することになったのではないか。ですから、実際はチェコやハンガリー、あるいはユーゴ等の有力オーケストラであって、演奏家も実力のある人たちなのでしょう。偏見なく演奏を聴くと、そんな感じがします。

(*):廉価版CDの楽しみ~「安田の部屋」資料室より
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新カテゴリー「手帳文具書斎」を独立させる

2008年05月14日 06時34分18秒 | ブログ運営
これまで、Weblog カテゴリーでまとめていた雑記事の中から、「手帳」「文具」「書斎」に関するものを独立させ、「手帳文具書斎」という区分でまとめてみました。記事の数は意外に多く、最初から38件もありました。
左の「カテゴリー」一覧から「手帳文具書斎」を選び、遡って読みかえしてみると、同じようなことを言っているところもありますが、微妙に記事内容の焦点のあて方が違うようで、まずまずセーフでしょうか(^o^;)>poripori
それにしても、高級万年筆やこだわりの逸品のような話題は皆無で、1本100円のボールペンとか150円のボールペンとか、話がやけにしみったれてますなぁ(^o^)/
まあ、広告を取って生き残らなければならない雑誌ではありませんので、当方の自由に好きなように、日常的な文具等の話題を展開してまいりたいと思います。
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笑える!「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」

2008年05月13日 06時05分52秒 | Weblog
少し前になりますが、中学生が交番に花火を打ち込んだ、というニュースに、驚くやら呆れるやら、最近の中学生は何を考えているのだろうと理解に苦しみました。ところが、先日のこの地方ニュース記事(*1)で、「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」というブログサイトの存在(*2)を知りました。
読んでみたら、いや、面白い!爆笑!笑えます。それに、ちょいとホロリとさせるところもあり、思わず読み耽ってしまいます。そうか、作者の「ママチャリ」さんって、白鷹町の出身なんだ~。すると、東北の田舎町って、もしかすると山形県西置賜郡白鷹町あたりがモデルなのかも。だとすると、置賜地方が、あのスウィング・ガールズ(高畠町)に続き、再び爆笑物語の舞台になったわけだ!

そこで、気がつきました。あ、あの中学生たち、このブログかマンガを見たんじゃなかろうか。昔の田舎町と勘違いして、実際に実行してしまうところが、中学生なのかもしれない…(^o^;)

(*1):読売オンライン・山形版~白鷹出身者ブログ 映画化~
(*2):「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」
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映画「山桜」を観る

2008年05月12日 05時13分33秒 | -藤沢周平
少し前のことになりましたが、ゴールデン・ウィークの終わりに、山形市嶋地区に先ごろオープンした複合型施設「ムーヴィー・オン山形」で、藤沢周平原作、篠原哲雄監督による映画「山桜」の先行上映を観て来ました。こちらは八文字屋山形北店が隣接し、無料パーキングがあって、駐車料金の心配なく書店で上映まで時間を待つことができますし、映画を堪能した後で原作を探すのにも便利になっています。そうして、映画の出来栄えもたいへんに丁寧で、原作とは別の映像作品としてじゅうぶんに満足できるものでした。

映画の冒頭、野江さん役の女優さんの印象が、何か一言いうと三言くらい返ってきそうなキツイ現代娘のようでしたが、慣れてくると、その気の強さがこの映画には必要だったのだ、ということがわかります。また、映画では再嫁先で野江に同情し、心を通わせることできた老僕や婢の存在がいい味を出していますが、これも実は原作には登場しません。以前、「山桜」の原作について記事を書いています(*1)が、映画化する上で変更しなければならなかった、いくつかの相異点をあげてみました。

(1) まず、手塚弥一郎との縁談が立ち消えになった理由です。原作では、野江本人が剣の使い手イコール乱暴者というイメージを持っていたことに加えて、母一人・子一人という手塚家の境遇に対して、野江の母親が懸念を持っていたからでした。それが映画では、娘の手塚弥一郎への想いを察知し、今は回り道をしているだけよ、と諭す賢い母親になっています。
(2) 最後の場面、原作では式台に手をかけたまま涙が迸り出る心理的かつ劇的なクライマックスですが、映画では地の文を表現することが困難です。映画では、座敷の中で弥一郎の母親と対面しつつ泣く設定になっており、どうも心理的クライマックスにはならないようです。映像では、正面からの野江の涙も泣き笑いのようで、顔を俯け滂沱として落ちる涙ではないようでした。このあたりは、難しいところです。
(3) 手塚弥一郎の描き方は、大きく違います。原作は、あくまでも野江中心の描き方であり、実際の弥一郎は、ほんの少ししか登場しません。映画では、二人が相思相愛に至る回り道を描くために、弥一郎も丁寧に描き出さざるを得ず、その分だけ弥一郎の行動は説明的に美化されます。いわば美しきテロリストになってしまっています。

このあと、はたして主君はどう裁くのでしょう。武士の世に、城中の刃傷沙汰は、その動機の如何を問わずご法度でしょう。だからこそ、野江は嫌いな夫に「お腹を召されるのでしょうか」と問うたのでしょうし、切腹または情状を酌量し罪一等を減じても長い蟄居は免れないところでしょうか。原作では、決してハッピーエンドは示唆しておりませんで、結末はあくまでも不明です。ただし、蟄居閉門であったとしても、野江は喜んだことでしょうし、たとえ切腹となったとしても、幸薄い叔母と同様に一途に仏を供養して暮らそうとすることでしょう。そういう想いのはげしさは強く示唆される作品です。その意味では、やや希望を持たせる映画の終わり方も、なるほどと思わせるものがあります。

そうそう、音楽が良かった。チェロとピアノで、あまり盛り上げようとしないで淡々と演奏されるところが、藤沢作品によくあっていると思います。

いずれにしろ、近年の優れた映画をきっかけに、藤沢周平作品の原作に親しむ方々が増えればよいと、愛読者としては素直に願ったことでした。

(*1):小室等さんの好きな藤沢周平作品「山桜」を読む
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山形交響楽団第189回定期演奏会を聴く

2008年05月11日 19時40分36秒 | -オーケストラ
土曜の夜7時から、山形テルサホールにて、山響こと山形交響楽団の第189回定期演奏会を聴きました。例によって18時45分頃から指揮者の飯森範親さんのプレトークがあります。最初の出だしで音声が入らず聞き取れなかったのですが、すぐ音声が入りました。飯森さん、風邪を引いたのか、声が少々かすれ気味。でも、次第にいつもの調子が戻って来ました。

本日のプログラムは、

1.ヴォイチェフ・キラール 「オラヴァ」
2.ショパン 「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」 仲道郁代(Pf)
3.ラフマニノフ 「交響曲第2番」(ノーカット全曲版)

というものです。
今日のコンサートマスターは高木和弘さん、第2ヴァイオリンのトップには、舘野泉さんの子息であるヤンネ・舘野さんが坐っています。

第1曲の「オラヴァ」は、第1・第2Vn、Vla、Vcが各2にCbが1の弦楽セクションだけのきわめて小編成で演奏されます。作曲家のキラールは、1932年ポーランドのリヴィウ(現在はウクライナ)の生まれで、現在も活躍中の作曲家だそうです。映画「戦場のピアニスト」の音楽を担当しており、ミニマル・ミュージックを志向する方だそうですが、ジョン・ケージの「4分33秒」のような奇矯なところはありません。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが、1小節単位の単純なモチーフをくり返しているうちに、音楽が少しずつずれてきて、そこにヴィオラやチェロ、コントラバスが加わり、次第に盛り上がりを見せます。ラヴェルの「ボレロ」の現代的かつ弦楽版みたいな音楽、といったらわかりやすいでしょうか。なかなか緊張感と力感のある音楽でした。

続いてオーケストラの編成が拡大され、ピアノがステージ中央にすえられて、仲道郁代さんと飯森さんが登場します。飯森さんと桐朋学園の同級生だという仲道さんは、たいそうキュートな藤色のドレスです。本日のプログラムは、キラールとポーランドつながりのショパン。「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」の前半のピアノ独奏部では、やわらかくコントロールされた美しい音で、きらきらとした玉を転がすような音楽を聴かせてくれます。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に分かれた対抗配置のオーケストラが入ってからは、ダイナミックな激しさも見せますが、ピアノ主体によくコントロールされた音楽となっていました。
拍手に応え、仲道さんからショパンの「子犬のワルツ」を。コロコロと、実に軽やかな演奏でした。

休憩のあと、ラフマニノフの交響曲第2番です。ノーカット全曲版で、およそ1時間かかります、と指揮者のプレトークで説明がありましたが、ほんとにそのとおり。先にプレヴィンの演奏でこの曲を取り上げたばかり(*)ですが、地元でこの曲の全曲版の演奏を聴けるとは思っていませんでした。実演に接して初めて理解したのは、ティンパニや大太鼓がずいぶん活躍していること、多くの楽器に少しずつ、美しい旋律のソロを取る部分があること、などです。このあたりは、CDを通じて音楽全体を聴いているだけではわかりにくく、実演で初めて理解できたところです。

客席からは大きな拍手。特別首席コンサートマスターの高木和弘さんが、今日は隣に坐っている、山響コンサート・ミストレスの犬伏亜里さんに何か話しかけています。にこやかな表情です。演奏終了後の解放感かな。

ところで、本日の演奏は、テレビ収録されていたそうです。現在、山形放送で半年かけて「音楽を奏でる街」(仮題)というドキュメンタリーを制作中なのだとか。客席にはナビゲーターの金本美紀アナウンサーや山内プロデューサーもおられたそうで、今年の秋11月放送予定とのこと。こちらも今から楽しみです!

(*):ラフマニノフ「交響曲第2番」を聴く~電網郊外散歩道
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小型スピーカに向いた音楽・不向きな音楽

2008年05月10日 05時35分34秒 | クラシック音楽
どうも、ラジカセやパソコン用などの小型スピーカに、向いた音楽と不向きな音楽があるようです。カーステレオの場合は、大型スピーカではありませんが、ほとんど信号のない郊外路を走るおかげで、かなり音量を上げることができますので、なんとか効果(*)のおかげで低音もかなり豊かに聞こえます。でも、アパートの室内では、そんなに音量も上げられず、いきおい小音量でもあまり不満の少ない曲目が中心になってしまいます。近ごろ実際に確かめた、小型スピーカに向いた音楽と不向きな音楽のリストです。

【意外にも小型スピーカ向きの音楽】
パヴァロッティ 「イタリア民謡集」 どこかのラジオから流れる歌声のようで、それはそれで楽しめてしまいます。
ベートーヴェン 「ヴァイオリン・ソナタ第10番」 ヨセフ・スークとヤン・パネンカの演奏、ピアノはとても十全とは言えませんが、音楽の魅力で、なんとか楽しめます。
サティ 「ピアノ曲集」 ピアノの音色は十全とは言えませんが、雰囲気だけは伝わります。

【間違いなく不向きな音楽】
レスピーギ 「ローマの松」 せっかくのオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の豊かな響きが、残念ながら安っぽいラジオの音になってしまいます。
ストラヴィンスキー 「ペトルーシュカ」 打楽器の連打の迫力や低音の咆哮が全然野性的に聞こえません。
クープラン 「修道院のためのミサ曲」 女声合唱は透明で美しく感じとれますが、せっかくのマリー・クレール・アランが演奏する Saint-Pierre Cathedral のオルガンの音が、なんとも不満です。
リスト 「ピアノ・ソナタ ロ短調」 低域不足のために、激しさや不気味さがない、無害化されたリストになってしまいます。

(*):フレッチャー・マンソン曲線~音響工学基礎知識
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F.クープラン「修道院のためのミサ曲」を聴く

2008年05月09日 20時13分18秒 | -オペラ・声楽
偶然に入手した外盤がとても良くて、気に入ることがあります。たとえばこのCD。大クープラン(*)ことフランソワ・クープランのオルガン・ミサの一つ、「修道院のためのミサ曲」です。フランスのエラートによる、1998年のデジタル録音。ただし、記載はフランス語です。あいにく当方はフランス語はちんぷんかんぷん、ラテン語にいたってはまるでわかりません。部分的にわかるところだけを日本語で。番号も、第何曲という呼び方でよいのか、これも不明です。

第1曲、無伴奏で歌われる女声合唱の美しさに思わず引きつけられる「Introit」。入祭唱と訳すのでしょうか。
第2~第6曲、マリー・クレール・アランのオルガンが登場し、女声合唱が Kyrie eleison と歌います。「キリエ」です。
第7~第15曲、女声合唱の出番はちょっとだけ。オルガンの名技をたっぷりと披露する「グロリア」です。
第16曲、「Offertoire」、奉献唱と訳すのでしょうか。オルガンにて。
第17曲、「Preface」、男声がソロで歌います。よく響く教会ですね。
第18~第19曲、オルガンと女声合唱による「サンクトゥス」。
第20曲、「Elevation」、オルガンがあまり威圧的でなく、どちらかといえば静かに響きを聴かせます。
第21曲、女声合唱だけで、「O salutaris hostia」。ラテン語みたいですね。
第22~第23曲、オルガンと女声合唱による「アニュス・デイ」。
第24曲、女声合唱による「Priere pour le Roy」
第25曲、「Ite missa est」

マリー・クレール・アランの演奏するオルガンは、Saint-Pierre Cathedral の histric organ だそうです。合唱は、Josep Cabre 指揮の Compagnie Musicale Catalane、CD は Erato の 3984-25507-2 です。

1690年に出版された、二つしか残っていないクープランのオルガン・ミサ曲、思わず頭を垂れるほど信心深くはありませんが、その美しさを讃えることには異論なしです。それにしても、音楽は素晴らしいのに、解説書が読めないのは辛いものがあります。ふだん当り前のように感じている日本語の解説書の価値を痛感(^_^;)>poripori

(*):フランソワ・クープラン

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食卓とイスを机兼用で使い始める

2008年05月08日 05時22分35秒 | Weblog
これまで生活上の課題(*1)としてあげていた、食卓とイスを用意し、パソコンや書き物机兼用で使い始めました。実は、このテーブルとイスは、新婚当時に使っていたものです。今まで納屋で保管していたものを出してきて、軽トラックで運びました。イス用のクッションだけは、別途既製品を購入する必要がありますが、使用感はたいへん Good です。

デスクトップ型パソコン(*2)は足元にセットし、テーブル上には照明と先ごろ新調した17インチの液晶ディスプレイ、マウスとキーボード、同様に眠っていた古いインクジェット式のプリンタCanon BJC-400Jを置きました。このプリンタは、平成6年ごろに購入しずいぶん使ったはずですが、交換用インク・カートリッジBC20がまだ売られており、メカニズムはまだ大丈夫のようです。さすがはキャノン!印刷の実用的なスピードや解像度はさすがに一時代前のものですが、WEB 等のモノクロの仮印刷には許容範囲内、ぜんぜんないよりも良い、と割り切ることにしましょう。捨てずに生かすやり方に限度はありますが、最近の情報機器、特にプリンタなどは、インクカートリッジで稼ぐビジネスモデルのため、うっかりすると新品を購入するのと廃棄処分にかかる費用が同等だったりします(^o^)/

テーブルの高さは、通常の事務用机よりは数cm低く、キーボードを打つのにひじの角度がちょうどよいくらいです。キーボードを液晶ディスプレイの下に格納してしまうと、手元には十分なスペースができます。食事もできますし、コーヒーもすぐにいれられます。一人暮らしの台所にパソコン、単身生活にはなかなか便利です。

さて、これで残るは音楽再生環境です。

(*1):生活環境整備の優先順位~電網郊外散歩道
(*2):液晶ディスプレイを新調しデスクトップ・パソコンを再利用~電網郊外散歩道
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懐かしのオーディオ機器のカタログを発見

2008年05月07日 05時46分27秒 | クラシック音楽
連休を利用して、朝から果樹園の草刈に精を出し、くたびれたのでコーヒーを飲みながら本棚を眺めておりました。ふと、最上段の奥のほうに、古びたファイルがあるのを発見。あれは何だったかな、と全く記憶になし。さっそく踏み台を持ち出し、手にとって見ると、なんと、懐かしのオーディオカタログでした。おそらく、昭和40年代のものと思われます。本人は全く記憶にありませんが、たぶん、当時興味を持ったものを、ファイルしていたのでしょう。

上のトリオのTW-31とAFX-31のコンビなどは、たぶん1960年代の製品かと思います。実に懐かしいものです。トリオ(現ケンウッド)社のバリコン式チューナは、定評のあるものでした。



こちらはコーラル社のブックシェルフ型スピーカBX-300です。コーラル社といえば、軽い振動板を強力な磁気回路で駆動する、ベータシリーズで有名でした。少し後に、バックロードホーン型スピーカーボックスBL25を出しましたが、試聴室などで聴かせてもらうこのスピーカの音が、わりに好きでした。



つづいて、パイオニアのオープンデッキ、T-5000 です。このシリーズは、録音再生オートリバースが便利そうでした。友人が持っていて、うらやましく、あこがれました。さらに上級機の、T-6000 というのもありました。



オープンリールデッキといえば、当然テープが話題に上ります。当時、SONY の SLH テープが評判になっていました。19cm/s で 38cm/s の音、という触れ込みでした。



レコード再生には、カートリッジが必要です。グレース(品川無線)の MM 型 F8X シリーズのうち、実際に F8C を入手して愛用しました。このシリーズは、交換針を変えるだけで、F8LになったりF8Mになったりするのでした。



でも、学生時代に、実際に利用できるスピーカは、foster社(FOSTEXに社名変更)のユニットに限られてしまっていました。FE-203 を用いたバックロード・ホーンを自作したり、FE-103 を使った小型バスレフを作ったり。後者は今も使っています。ちょっと紙臭さがありますが、定位の良さは抜群です。




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果樹園の草刈りとドヴォルザーク

2008年05月06日 05時31分08秒 | 週末農業・定年農業
ゴールデン・ウィークの後半、時間的に余裕があるのはありがたいものです。一昨日と昨日と、果樹園の草刈りをしました。老父が病気をしましたので、春から手入れをしないでおり、さすがに雑草が目立って来ておりました。

もちろん、手刈りではとても不可能な面積です。まず広いところはガソリンエンジンの自走式草刈機でまっすぐに刈り取ります。こちらは、バックするときに足元を取られて怪我をしやすいものです。でも前進だけなら、芝生を刈るのと同じです。頭の上の枝に注意していれば、どんどんはかどります。



草刈機で作業しにくい狭い場所は、動力草刈鎌で刈り取ります。こちらは、回転する刃の位置と、燃料の補給時期に注意する必要があります。最初、始動スイッチをオンにしてからエンジンスタートしなければならないところを、うっかり忘れてエンジンがかからず焦りましたが、始動スイッチを入れていないことに気がつき、ようやく始動できました。たまに作業すると、ポカをします(^o^;)>poripori

爆音に驚いたのか、つがいのカモや、頭部の赤いオスのキジがバタバタと飛び立ちました。畑のどこかにすみついているようです。トップの写真は、草刈り完了後の果樹園の様子を隣接する水田から撮影したもので、下の写真は草刈り前の草の中に頭を出すカモの様子。もう一枚は、以前撮影した、自宅の裏の畑で撮影したメスのキジです。残念ながら、オスのキジはまだ撮影に成功していません。





休憩時には、持参した魔法瓶で熱いコーヒーを飲みました。草の上に腰を下ろし、落としても壊しても惜しくない、カセットテープのウォークマンで、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を聴きました。セルジュ・ルカのヴァイオリン、レナード・スラットキン指揮のセントルイス交響楽団の演奏です。作業の合間、心地よい五月の風が吹く果樹園でのドヴォルザークは、とてもいい雰囲気です。
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ジュード・デヴロー『時のかなたの恋人』を読む

2008年05月05日 05時53分45秒 | -外国文学
タイムスリップするお話は、だいたいが実に都合良くできている、という共通点があります。酒場で喧嘩をして殴られたら中世のアーサー王の時代に飛んでいた(マーク・トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』)とか、恋人に置き去りにされた悲しみに泣いていたら16世紀の貴族が鎧を着てやってきた(本書)とか、訓練中の自衛隊が時震に遭遇して戦国時代に飛ばされた(半村良『戦国自衛隊』)とか、そもそも想定からして作者の御都合主義(^o^)/

ただし、異なる時代で何をするかはだいぶ違いがあります。マーク・トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』のほうは、中世の教会権力に対抗して革命戦争をおこしますし、『戦国自衛隊』は歴史に不足する駒として働いてしまいます。では、今はすでに絶版になっているという、つい最近古書店で見つけた本書、新潮文庫のジュード・デヴロー著『時のかなたの恋人』は?

こちらは、なんと四百年を隔ててテレパシーが伝わってしまう相手を救おうとする話です。その意味では、マーク・トウェインのような過激さもありませんし、半村良のような時代劇としての異色さもありません。むしろ、近過去を対象に、両親のロマンスを成功させようとする映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に近いかもしれません。

前半は、現代が舞台です。なんともお人好しのアメリカ女性ダグレス・モンゴメリーが主人公。英国旅行中に恋人に置き去りにされ、泣き悲しんでいたら、上半身に鎧を着た16世紀の貴族ニコラス・スタフォードが登場しますが、彼は無実の反乱罪で告発され、エリザベス女王に死刑宣告を受けて、処刑の三日前、母親への手紙を書いている途中で急死したことになっているのです。このニコラス卿、実に現代社会への適応が早い。早過ぎでしょう、と思わずつっこみたくなりますが、まあそこはもともとが御都合主義のタイムスリップ・ロマンスですので、目をつぶりましょう。結局、ニコラスを陥れた真犯人がわかるのですが、二人が愛し合ったらニコラスは16世紀へ戻って行ってしまうのです。なんとまあ(^o^)/

そして後半は、愛するニコラスを助けようと、ダグレスが16世紀のイギリスへピューン。女性が中世社会で生きていくことの難しさを描いているところは、本書の独自性でしょう。いろいろ苦労しますが、ついに歴史を変えて愛するニコラスを救い、二人が愛し合ったら、また彼女だけ現代へピューン(^o^)/

最後に、アメリカへ帰る飛行機の中で、ニコラスの子孫と恋をする予感が描かれて、一応のハッピーエンドを迎えます。思わずどきりの大人向けお色気場面サービス描写もあり、この現代的な物語を楽しみましたが、マーク・トウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』を超える作品を構想するのは難しいのだなぁと、正直言って痛感させられた次第です。まあ、でも、けっこう面白かった(^o^)/

写真は、タイワントキソウのクローズアップ。
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ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」を聴く

2008年05月04日 05時22分00秒 | -オーケストラ
ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」初めてを聴いたのは、たぶんFM放送だと思います。それでこの曲に興味を持ち、LPを購入したのでした。当時は学生の身分でしたので、もちろんセラフィムの1000円盤(CA-5056)で、演奏はレオポルド・ストコフスキー指揮ベルリン・フィル。「火の鳥」とのカップリングでした。

この演奏を、だいぶ聴きました。1957年の録音だそうです。録音のせいか演奏のせいかわかりませんが、独特の不思議な音がしました。でも、いくらおなじみでも、車の中でLPはさすがに聴けませんし、わざわざデジタイズしてCD-Rに焼いて聴くまでの元気・根気は、さすがにもうありません。いきおい、CDが中心になります。

CDでよく聴くのは、ズビン・メータ指揮ニューヨーク・フィルの演奏です。こちらは1947年の全曲版で、雰囲気もやや異なります。1979年の録音は、当時各社で普及しはじめたデジタル録音によるものです。

フルート・ソロの音が澄んでいるのが印象的です。ティンパニの音も歯切れが良く、ピアノの音も打楽器の連打も迫力があります。演奏は表情がくっきりとしたもので、豊かな響きです。たいへんに聴かせ上手、という感じがします。

カーステレオで聴くと、ある音域の低音が強調されて、えらい迫力ですが、単身赴任先の小型スピーカでは、まったく迫力が出ません。そのかわりに、フルートソロやトライアングルの響きなどがくっきりと浮かびあがります。自宅でヴォリュームを上げて聴くと、ようやくバランスの取れた音で楽しむことができます。こういう音楽は、どうやらラジカセやパソコン用の小型スピーカには不向きな曲目のようです。

■メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック (1947年版全曲)
I=9'39" II=4'22" III=6'55" IV=13'16" total=34'12"

写真は、たぶん、アケビの花です。
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アホ猫と馬鹿にするけれど

2008年05月03日 09時03分17秒 | アホ猫やんちゃ猫
あのね、うちのご主人は、あたしたちをアホ猫と馬鹿にするけれど、自分でも相当に抜けているところがあるのよ。先日のことなんだけれど、単身赴任先で葬儀に参列する必要があったんだって。で、喪服を取りに自宅に戻って来てね、数珠もそろえて、部屋の入口に下げて、これで一安心。そこまでは良かったのよ。
そしたらね、翌朝、数珠とお弁当は持ったのに、肝心の喪服を忘れて行っちゃったんだって!途中で奥さんに電話を寄越したらしいんだけど、奥さんは呆れるやら笑い出すやら、娘さんも大笑い!
あたしたちを、いつもアホ猫よばわりするから、いい気味だわ!なにせ、ネコ族のプライドがかかっているのよ!今度帰って来たら、目の前でおおあくびをしてやるわ!ふーんだ!


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生活環境整備の優先順位

2008年05月02日 05時40分26秒 | Weblog
単身赴任が始まってからほぼ一ヶ月が過ぎ、仕事のほうはなんとか少しずつ慣れて来ておりますが、生活環境のほうは、なかなか整備が進みません。もちろん、日常生活に不自由しないレベルはクリアしておりますが、まだまだ課題は残ります。たとえば、

(1) 可燃ゴミを入れてゴミ収集に出せる袋の購入がまだでした。一週間分をまとめて車で持ち帰るのは、気温の低いうちはしかたがないですが、そろそろ限度でしょう。
(2) 冷蔵庫で漬物を漬けられるように、胡瓜が入る程度の小型のポリ容器を購入する必要があります。また、自家製ヨーグルトを作るための空瓶を用意する必要も。
(3) ADSL開通は良かったのですが、座卓でパソコンを使うと、足がしびれ、腰が痛くなります。食卓兼用でもいいので、やっぱり椅子とテーブルが必要です。
(4) 音楽を聴くための小型のCDアンプがあるといいなぁ。できれば、目覚しタイマー機能やおやすみスリープ機能のついたもの。
(5) 滅多に使わないのですが、やはりプリンタがあると便利です。小型のレーザー・プリンタか、インクジェット式のプリンタがほしいところ。
(6) 場所を取らないコンパクトな薄型テレビとDVDプレーヤー。もっとも、DVDを見る時間があるかは疑問。テレビは週末に自宅でN響アワーを見る程度ですので(^o^;)>

こんなところかな。優先順位を考えて、並べ替えをしてみた結果です。

まずは、冷蔵庫の置き場所を変更して、テーブルと椅子を置くスペースを確保するのが先決でしょうか。こうしてみると、読書環境は真っ先にそろいます。読書は、再生装置を必要としないために、一番簡便で確実な単身生活の楽しみ方なのかもしれません。
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